十一.里乃という女
「あの……もしかして」
おずおずと声をかけてきた女を見て、勝母は歩みを止めた。
誰なのかわからないが、見覚えがある。
こういう稼業をしているので、人助けは少なくないが、そういう関係ではない気がする。もっと、何か別の場所で、仕事とは関係ないことで会った……気がする。
勝母の記憶は概ね合っていた。
女は勝母が立ち止まって、逡巡しているのを見てニコリと笑った。
「あの、お忘れかもしれません。里乃と申します。以前に、東洋一さんとご一緒におられた方ですよね? あの、大鶴さんのお嬢様の席にいらっしゃった……」
東洋一と、『大鶴』という料亭、その前に自己紹介で言った「里乃」という名前に、勝母の中でスルスルと記憶がよみがえる。
「あ……あの時の……」
踊りの下手くそな半玉か! と言いかけて止めたのは、目の前で風呂敷を背にも負うて、手にも抱えて、あかぎれでひどい手をした女が、まさか芸者の卵にはとても見えなかったからだ。
それ以上言わなかった勝母を見て、女の方がクスクスと笑って言った。
「そうです。あの時の半玉です。未熟な芸をお見せしてすみません」
「あ…いや……様変わりされていたので、気付かなかった」
「アハハ! そうですよね。あの時は白粉を塗りたくってましたから。もう、皮が一枚上に乗ってたみたいで」
本人にとっては、白粉を塗って綺麗に化粧した自分よりも今の方がいいらしい。
清々した様子の里乃に、勝母は呆気にとられた。
「ちょうどよかった。えぇと……お名前なんて仰言るんでしたっけ?」
あの時の恥じて泣いていた姿とは程遠く、里乃は案外と遠慮のない性格らしい。
勝母が聞かれるままに名前を教えると、少し驚いた顔になった。
「五百旗頭勝母? ずいぶん厳ついお名前ですね。お姿はとても可愛らしいのに。代々継がれているものですか?」
確かに名前だけでは女とは思われない。
紹介されて行った先の宿屋などでも、苗字とあいまって、ゴツイ壮年の男と勘違いされるのはいつものことだ。
「いや…祖母がつけました」
小さな声で訂正すると、里乃は人懐っこい笑顔を浮かべながら、自ら呆れたように話す。
「いいですねぇ。私なんて、本当の名前はウマですよ。馬小屋で産気づいたからってウマ。人間ですらないんだから」
どう答えていいのかわかず、勝母は「はぁ」とだけ返事する。
[9]前話 [1]次 最初 最後 [5]目次 [3]栞
現在:1/5
[6]トップ/[8]マイページ
小説検索/ランキング
利用規約/FAQ/運営情報
取扱説明書/プライバシーポリシー
※下部メニューはPC版へのリンク