scene.1 夕野憬
あれは、俺が7歳になった時のことだった。
6月30日。俺は横浜のとある母子家庭に生まれた。だが正確に言うと出生地は東京で、俺にはかつて父親がいたらしい。そんな肝心の父親は物心がつくかどうかの頃に突然姿を消したおかげで、存在するはずのその姿は記憶の片隅にすら残っていない。
何度か父親がいない理由を母親に聞いたことがあるが、「父親は最初からいない」の一点張りで、結局聞けずじまいである。
もちろん俺が東京で過ごしていたという記憶も残っていないし、父親がいないことに寂しさを感じたことは一度もない。
そして幼稚園に通い始めて間もない頃から、俺は周りから“変わった子”のように思われるようになった。周りの奴らはやれ“おままごと”やれ“車”、かけっこだ正義の味方だと勝手に盛り上がっていた。
“何が面白いのか俺には全く理解できなかった”
やがて周囲から孤立し始めた俺を心配してか、幼稚園の先生がアスレチックやピアノ教室など色々と連れて行ってくれたが、残念ながら俺の心は全く揺れることはなく、やがて周りの大人たちは次第に俺を“変わった子”として放任するようになった。
そんなある日、母親に連れてこられる形で初めて入った映画館で観賞した子供向け人気アニメの劇場版。元となるアニメというのは、今でも子供たちから絶大な人気を誇っているアニメで、放送時間は変わったが現在でも放送されている。今も昔も子供たちからの人気は高いが、俺がそのアニメを観たのは母親に連れていかれたこの時だけだ。もちろんあの日以来は1話たりとも観ていない。
“何で勝つのはいつも正義で、悪は必ず負けるのだろうか”
どんなに強力な武器と布陣で圧倒していても、最後にはお決まりの”常套句”で毎回倒される。子供心ながらにストーリーがあまりにご都合主義でつまらなく感じた。
恐らく同い年ぐらいのガキやそこらの小学生あたりならこんなことは思わないだろう。当然こんな感じでは“おともだち”なんて出来るはずもなく、次第に俺は現実から目を背けるかのようにブラウン管の世界に没頭していった。
その流れで7歳の時に初めての夜更かしで観賞した“金曜映画祭『向日葵の揺れる丘』”。正直言ってこの映画のストーリー自体はこれといった特徴はなく、ありきたりなストーリーだった。ただ、生まれて初めて邦画というものをこの目で観た俺は、ブラウン管の中に映る1人の女性のひとつひとつの仕草に夢中になった。
彼女が笑えば俺は笑顔になり、彼女が泣けば俺は悲しい感情に飲み込まれる。こんな感覚、生まれて初めてだった。
“もう一度、彼女を観たい”
あの日から俺は、彼女の姿をもう一度この目で見るために、彼女が出演するドラマやテレビ番組は全てチェックし、時には母親に我儘を言って彼女が出演する映画を観に行ったこともあった。
母親もまた彼女のファンだったこともあってか、そんな俺を母親は不審がるどころか、俺の我儘に文句も言わず 付き合ってくれた。
仕事の都合で多忙だった母親のことを考えると、本当に申し訳ないことをしたと今は思う。とにかく、あの頃の俺にとって彼女は、かけがえのない生きがいと言ってもいいくらいだった。
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