ハーメルン
或る小説家の物語
scene.4 才能

「良いんじゃない?そういうのを目指してみるのも」

 思いきり反対される覚悟でオーディションを受けるということを打ち明けたが、母親は意外にもすんなりと俺の覚悟を受け入れてくれた。まぁ、賞金が出るとか付け焼刃の保険を一応かけておいたが。

 「本当に良いんだな?」
 「もちろん。でもその代わり、自分で決めたことだから最後まで責任を持って取り組んでよね」
 「言われなくても分かってるよ」
 「ほんとに?後で泣き言言われても困るからね?」
 「泣き言なんていう訳ねぇだろ。ガキじゃねぇんだから」
 「中学生なんてまだまだガキでしょ」

 父親が失踪して頼れる身内もいない中、仕事をこなしながら辛い顔一つ見せずたった一人で俺の面倒を見てくれている母親。ただ流石に最近は、たまにある母親の友達のようなノリに俺は小恥ずかしさを感じるようになっていた。
 反抗期とまでは行かないが、思わず言葉遣いが荒くなることも増えた。無論、親子としての関係自体は良好だ。

 「憬のことだからいつかは俳優になりたいって言ってくる日が来るとは思ってたよ」
 「何だよそれ」
 「だって昔から好きだったでしょ、星アリサとかさ」
 
 星アリサが女優を引退してから早くも1年が経とうとしている。ワイドショーを見ていても“復帰はあるのかないのか”という論争が未だに続いており、街を行く人々からも“復帰を望む声”があるなど、彼女の人気は衰えることを知らない。
 しかし、“あの日”に彼女が魅せた幾千の重圧から解放されたような澄み切った表情は、もう女優を続けることへの未練を完全に断ち切っていたことを意味していたのは明らかだった。
 年老いた姿を見せず、女優として最も美しく輝いたタイミングで表舞台から身を引くという美学は、1人の国民的天才女優を芸能史に残る伝説へと押し上げた。

 彼女のことを何も知らなかった俺は、勿体なさを感じつつも当たり前のようにそう思っていた。



 「でもこういうオーディションってさ、死に物狂いで夢を掴みたい人たちが日本中から何万と来るのに、用意されている席は僅か数席なんだよね」

 ふと母親は、まるで芸能事務所のオーディションの実態を知っているかのように俺に話してきた。俺は試しに聞いてみた。

 「母ちゃんはさ、そういうオーディション受けたことあんの?」
 「あるよ、一度だけ。あんたが受けようとしているスターズ程じゃなかったけどね」

 この日母親は、俺に“かつて女優を夢見ていた日々”のことを打ち明けた。

 母親は小さい頃から女優になるのが夢で、高校時代には強豪として名の知られていた演劇部に所属し、主演を務めた演目で全国大会に出場して賞を獲ったこともある。その直後、母親は演劇部の仲間や恩師である顧問の勧めもあり、大手事務所が企画する映画への出演をかけた新人俳優向けのオーディションに参加した。
 スターズ程の規模ではないが、1つの席の為に全国から1万人以上の夢追い人が集まったという。

 「運よく演技審査まで順調に進んでさ、その時はもしかしたらこのままいけるかもって思ってた」

 演技審査でたまたま同じ組になった1人の女の子の演技を目の当たりにした瞬間、自分の描いていた夢がいかに浅はかなものであるかを、自分には才能なんてなかったということを思い知った。私程度の高校演劇上がりが通用するような世界じゃないのに。それも分かっていたはずなのに。

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