僕と君②
「無理を言ってすまないね」榊さんとよく似た涙袋を持つ青年──榊さんのお兄さんが言った。
「おう」感謝しろよ、と春夏秋冬さんが尊大な声音で答える。
しかし、お兄さんに気分を害された様子はない。緩やかに微笑み、「うん、ありがとね」と溶けた飴が染み込んだ声帯から発せられたかのような声。
2、3歩引いた位置から春夏秋冬さんとお兄さんのやり取りを眺めていると、脇腹を小突かれた。榊さんだ。
「うちの兄、イケメンでしょ」
「かもね」たしかに春夏秋冬さんと並ぶと絵になっている。
榊さんが、にやっとする。「やきもち焼いちゃってる?」
ずいぶんと楽しそうなところ申し訳ないが、そんなことはない。でも、それをストレートに伝えるのも面白みがない気がする。
なので、僕は言った。「僕らも浮気しようか」
榊さんは、一瞬、ぽかんとしたものの、すぐに相好を崩壊させ、声を上げた。「春夏秋冬さーん! 源くんが私と浮気したいってー!」
「?」けれど、春夏秋冬さんは〈なんだそりゃ〉という顔をしただけだった。
「えー」榊さんはいたく不満そうだ。
3回裏、春夏秋冬さんが放ったボールが打者の膝の辺りに構えた僕のミットに収まると、どこからやって来たのか分からない審判の人が、「トライクッ」と若干の手抜き感のある言い方で打者に死刑判決を下した。
スリーアウトでチェンジってやつだ。
ここまで春夏秋冬さんは全ての打者を打ち取っている。お兄さん曰く、リリースとコントロールがプロ上位クラスなうえ、配球がえげつないことが要因らしい。
配球に関しては、ズル──打者の心を読んで裏をかいている──をしているからそう言われても反論はできない。
とはいえ、相手のチームには数年前まで独身リーグ(?)でプレイしていた人も何人かいるみたいだし、少しくらいズルしても許されるでしょ、きっと。
春夏秋冬さんがニッコニコで駆け寄ってきた。一緒にベンチに向かいつつ、正直、僕はちょっと引いている。初めて見たよ、こんな顔。
チームの人たちが、「ナイピッ」とかなんとか春夏秋冬さんに声を掛ける。
「こんくらい、ヨユーよ、ヨユー」春夏秋冬さんの言葉に周りが、おー、と沸く。
けれど──。
「大丈夫?」ベンチに戻った僕はこっそりと春夏秋冬さんに訊いた。
春夏秋冬さんは、内心、苛立っていた。この程度の球しか投げられない自分に。
男だったころは、調子がいいと150キロ以上は出せていたらしい。変化球ももっと良かった。コントロールだって。
「何が?」春夏秋冬さんは惚けた。弱いところを見せたくないようだ。
なので、僕は笑った。「お兄さんにときめいてないかなって」
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