五話 最も強き者
そう、それはあまりにも当たり前であり、ごく自然と無くなったことで気づかなかった違和感。
今行われているのは東西交流戦。合戦である。なのに、それによって起こるであろう喧騒は、全く聞こえてこない。足音、話し声、息遣い。聞こえてくるはずの音が何一つ聞こえてこない現状は、あまりにも異質すぎる。
これではまるで、この工場地帯から人が消えてしまったかのようであった。
「川神!気をつけろ、何か様子が変だぞ」
「京極?どうしたんだ急に?」
現状の不審さを感じ取った京極は百代に注意を促すも、それを彼女が汲み取った様子は見られない。視線を戻し正面に立つ男を改めて注視するが、差したる脅威は感じることはできなかった。
黒髪黒目の短髪に、背は170前後と標準的。体付きも割と筋肉がついている方ではあるが、無いよりマシと言う程度。至って平凡的な、地味な男子生徒であった。
何か武術を嗜んでいる可能性もあるが、刃が此方に向かって歩いてくる所を見るだけでも分かる。目の前の男が、武道を嗜む者なら存在する特有の足取り、しっかりとした体幹が見受けられない。ド素人のそれであった。唯一目立つ箇所があるとするならば、刃が身に纏っている気の膜が常人と比べると少し多いぐらいである。だがそれも、百代からすればドングリの背比べと同じだ。
目立った外傷が見受けられない所を見るに、恐らく先程倒した天神館の生徒達の中に、彼は存在しなかったのだろう。
そこから考えられる可能性としてあるのは、一人後方で待機していた大将が、観念して潔く最後は一対一の勝負を挑んできたということ。強くは無いが、腰抜けと言うわけでもなさそうだ、と百代は笑う。
「いいぞお前、その心意気は買ってやる。ハンデとして先手は譲ってやろうじゃないか」
「……じゃあ、ありがたくそうさせてもらうよ」
百代の申し出を聞き入れた刃は、言われた通りに攻撃態勢に入った。
左手に持った刀を腰元に置き、右手を添える。右脚を曲げ、左脚を伸ばし、上体を下げる。その態勢はまるで、陸上のクラウチングスタートのようであった。
空気が変わるのが、分かる。
今まで場の空気を支配していたのは、完全に百代であった。しかしそれは、たった今塗り替えられる。目の前の男から、尋常では無い量の闘気が溢れ出したからだ。
空気がひりつき、汗が滲み、水分を欲した喉は生唾を嚥下する。
百代は重大な勘違いをしていたのだと、事ここに至って漸く理解する。目の前に立つ男は、宮本刃は、弱者などでは決して無い。
その鋭利に研ぎ澄まされた刃を巧妙に隠し、敵の喉元を切り裂かんばかりの鋭い眼光は、正しく自身と同じ壁を超えた、達人の領域だ。
歓喜に打ち震える。握り締めた拳からは、メキメキと音を上げ、限界まで引き上げられた口角は、その美しい顔を凶悪に彩る。
「最っ高だぞ……お前……!」
ただの消化試合だと目していた勝負が、極上のデザートへと変貌した今、百代の中の本能が警報を掻き鳴らすのと同等に、思わぬ強敵の出現に感謝した。
百代も対抗するように全身に気を巡らせる。体勢を整え、来るであろう強烈な一撃に対して万全の姿勢を整えようとするが……。
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