第五話 内田鈴菜の生い立ち
内田鈴菜は、ある年の10月16日生まれのO型。
高知県の、ある片田舎で生まれた。
幼少時代は現在とは打って変わって、
とても活発な性格で、しょっちゅう
外を走り回っては母親の手を焼かせていた。
家が山奥にあったこともあり、休みの日には家族そろって、
山に出かけて川で泳いだりすることもしばしばあった。
また、自室にクラシックやジャズ、ロックなどの、
さまざまなジャンルの音楽をコレクションしていた為か、
鈴菜は音楽を作ることに興味を持ち、自分で作った曲を母親に、
聴かせて褒めてもらうことや、母と一緒に歌を歌うことなどに、
転げ回りたいほどの幸福を感じていた。
しかし、そのような幸せな日々は、ある日、母が鈴菜を庇って、
自然災害に巻き込まれてしまい、母を失い、
唐突に終わりを迎えることになる。
この事故がテレビやネットのニュースで取り上げられた際に、
一部の見ず知らずの人間たちが鈴菜と鈴菜の母親に、
対して心無い言葉を浴びるようになった。
また、母親の死後は歌を歌う目的を失ったことから、
かつてのように、歌うことができなくなってしまっていた。
中学生時代には、
母親の遺品である音楽のコレクションを片っ端から聴き漁りながら、
胸のなかに渦巻く言葉にならない訳のわからない想いを吐き出すために、
一心不乱に歌詞や曲、絵などを書き殴っていた。
そしてあるとき、それらの無価値さや醜さを自覚して
「何をやっているんだ、私は価値の無い、女の子の癖に」
というどうしようもない思いのもとにそれらをビリビリに破り捨てている。
そして、宮益坂女子学園の高等部に進学すると同時に、
東京に上京するころには、自分自身がいよいよ無価値な人間に思え、
勉強にも部活にも打ち込まない虚ろな生活を送っていた。
やがて、歌が歌えないことに、恐怖を覚えて逃げ出してしまう。
しかし、鈴菜は、一歌やこはね、みのりの歌っている姿を見て、
やがて、自分も、もう一度、歌い始めたいと思うようになった。
その後、少しずつ歌い始めて、一歌やみのり、こはね達と、
仲良くなり、自分の価値観を生み出しつつあった。
ちなみに、宮益坂女子学園の高等部に進学した理由は、
父の転勤と同時に、高知から東京に行くことになった為である。
鈴菜は、今、前を向いて、歌いながら、その人生の道を歩んでいる。
たとえ、挫けようが落ち込もうが、関係なかった。
彼女は、僅かな何かを持って、生きようと決意したからだ。
天国にいる、母に届けるために、彼女は今日も歌い続ける。
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