家族を増やす程度の能力(改)
1993年、3歳になった。
最近、俺には二つほど悩みがある。
一つ目は、時々思考が動物っぽくなってしまうことだ。特に家にいる時。
かつて女神アルテミスの水浴びを見た男は、動物に変えられてしまったという。
たぶん、俺にもそんな感じのルールがあるに違いない。
女神のように美しい裸体を見ると、興奮して理性が低下し、思考が猿とか野生動物的になってしまうというルールが。
つまり家でマチママと一緒にいる時は本能に忠実になってしまうわけだ。
人間の三大欲求の一つが反応し、ついその美しくも優雅な曲線を見てしまうと、ミルクが欲しくなってしまうわけだ。
この問題に関してはマチママが服を着れば良いだけなので簡単に解決できる。
もうおしめなんて使っていないので、「脱ぐ必要ないよ」と教えてあげれば良いだけだ。
だが、それを指摘してしまうと、遠回しに「お前の裸は見苦しいんだよ」と言っていることと同義になってしまうと言えないこともないこともないこともないかもしれない。多分。
そんな酷いことを敬愛するママに言えるわけがないので、この問題は永遠に解決することはないだろう。
二つ目の悩みは、なんだかマチママが過保護すぎるのである。
なぜそんなに親切なのか。
かつて、鬼子母神という女性がいた。
彼女は1万人も子供がいたらしく、他人の子供を食うことで生活していた。
ところが、そこへお釈迦さまが現れて、彼女の子供の内の1人を隠してしまう。
すると鬼子母神は大いに嘆き悲しんだという。
そんな悲しむ彼女へお釈迦さまは言った。
「大勢子供がいるお前でさえ1人子供を失っただけでそれほどまでに悲しいのだ」
「子供が1人しかいない母親が子供を失ったらもっと悲しいだろう」と。
それを聞いた鬼子母神は、それまでの行為を改めて、子供の守護神になったのだそうだ。
この話から、なぜマチママが俺を過保護にするかという答えが見えてくる。
子供が減ったら母親は悲しい。
じゃあ、子供が増えたら嬉しいのではないか。
それに、住めば都という言葉もある。
住み慣れればどんな場所でも都のように良いように見えるわけだ。
同様にどんな子供でも、育てていればお釈迦さまのようにありがたいものに見えるのかもしれない。
実際に俺は過保護にされているし、これは疑いようがない。
ママとはそういうものなのだ。
強い者が勝つのではない勝った者が強いのだ理論を適用すると、これは明らかだ。
ママが息子を可愛がるのではない、息子を可愛がるのがママなのだ。
よって、性別が女性であるならば、全ての人類がママになれる可能性を持つわけだ。
新人類である赤い大佐は、自分より年下の高校生くらいの年齢の少女を自分のママになれるかもしれない女性と表現した。
昔、俺はそれを『何言ってんだこいつ』と思ったものだが、今はその理論が正しかったと理解できる。
人類が持つ無限の可能性を見た結果、俺は頭から背中にかけて何か稲妻のようなものが走るのを感じた。
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