「やっぱりいると思ったよっスペちゃん」
「ヒビッキさん……」
夜、すっかり日も落ちて辺りは暗闇に閉ざされてそれに反抗する街灯の光が少々頼りなさげに照らしている様はまるで今の彼女の内心を現しているように見えた。大粒の涙を流しながらも内部が空頭になっており、そこに向かって様々な思いを吐き出す場にもなっている大樹のウロへと悔しさを爆発させていた。
「これから付き合わないかい、ニンジンジュースは出すよ」
「はっはい……」
軽く背中を叩いて用務員室へと歩き出す中で背後にある気配に気づいたのか、ウィンクをして任せて欲しいと合図を送るとそこから気配は消えていた。
「はいっヒビキおじさん特製ニンジンジュース」
「有難うっ御座います……」
用務員室へと上げられたスペは差し出されたジュースを受け取って少しだけ口に含む、ほんの少しだけのつもりだったが以前飲んだものよりも更に美味しくなっているものなので驚きながら一気に飲み干してしまう。
「凄い美味しいです!!この前のお祝いの時よりもおいしいです!!」
「そりゃ良かった。知り合いから美味しいリンゴを貰ってね、それを使ったんだよ。ニンジンオンリーじゃなくて他にもリンゴとかバナナとか入れてるんだよ、はいお代わり」
「だから美味しいんですねっ有難う御座います」
先程の涙が嘘のように美味しそうにジュースを飲むスペに同じように珈琲を啜る。矢張りコスタリカコーヒーは美味い、この香りが堪らなく好きだとそれを堪能しているとスペが此方を見ているのに気づく。その視線は珈琲に注がれている。
「気になるかい?」
「あっすいませんヒビキさんが凄い美味しそうに飲んでるからその、美味しいのかなぁ~って……」
「うん美味しいよ、試すかい?」
「はいっちょっと挑戦したいです」
という事なのでスペにも珈琲を入れてあげる事にした。砂糖やミルクもあるのだが、ブラックで試してみたいとの事なのでそのまま差し出す。それを受け取りながらもコップの暖かさを感じつつも息を吹き替えて少し冷ましてから口へと運ぶ。
「にっ苦い……」
「砂糖いるかい?」
「いえっ大丈夫です苦いですけど……今はこれが美味しく思えるんです……」
苦い経験、それがいま彼女が味わった物の正体、それがどんな物かまだ抽象的で形にしきれていない。故に珈琲の苦さでそれを無理矢理形にしてのみ込んでいる。彼女が飲んでいるのは珈琲ではなく今回のレースで味わった全て、自分の不甲斐無さだけではない、今日のレースを応援してくれた母の想いに応えられなかったという悲しさや悔しさ……それを少しずつ自分に取り込んでいく。
「ヒビキさんっ……私、一緒に走ってたのに負けちゃいました……精一杯、やったのに……」
「ああ知ってる、だけど君が懸命に努力している時と同じように皆も同じように努力してたのさ」
安易に慰めはしない。此処で慰めれば彼女はそれに溺れてしまう、だがギリギリのラインを見極める。
「例えどんなに才能があるアスリートでも、例えどれだけの鍛錬を積んだ人間でも一度勝負っという場に出れば絶対なんてなくなる。その場の環境、周囲の空気、相手のオーラ、様々な物が自分に影響を与えてくる。それを受け止めて力を発揮するのか、それとも自分も負けないと周囲を喰らうようにするのか……それが勝負の分かれ目さ」
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