Take008
『私はリュドミーラ。本名をリュドミーラ・ロスチティラーヴォヴナ・プルシェンコ。前の職業は映画のスタッフの雑用、渡米する前はロシア軍人、最終階級は軍曹。
私の運命の人であるユーシャとの出逢いについて話そう。
あれは映画好きの同僚がとある映画について話したことが全ての始まりだった。何でも良く言えば守りたくなる、下品に言えば屈服させたくなるヤポンスキーが出ている映画が世間では人気らしく、語る相手が欲しいから興味があるなら見てくれよと誘われ、インターネットの情報から好奇心に負け劇場に足を運んで見たことが私の人生の分岐点になった。
スクリーンで写される艶めかしい彼の姿を見ていると、心の中でロシア人男性で構成された私の男性観が音を立てて崩れていく。
今思えば体格の良い、愛想の良いだけの男を何故良い男と考えていたのかわからない。
彼の仕草が私の心を撫でる度、何故そんな男に媚びていたのかとそんな自問自答を繰り返す心が慰められる。彼の仕草は私の男を知らない心と身体を濡らし、濡れる喜びと渇きという苦痛を与えてくれた。
殴られたい、蔑まれたい、都合良く使われたい、その状況に陥っている私は惨めでなんて脆弱な存在なのだろうか。被虐嗜好とでも言えばいいのか。
私も映画で殺害された人物のように、彼に生殺与奪の権利を握られたい。心から屈服したい。人間の女から獣のメスに堕とされたい。為す術なく押し倒されて冷えた銃口を頭に突き付けられて、それに見合う冷たい視線に見下ろされたい。
一般的に淘汰されるべき欲求を認めてしまえば、驚くほど頭は冴え胸に痞えていたわだかまりが消える。それに比例して身体の奥はグツグツと煮えたぎるように熱く濡れそぼっていく。
私が彼に対して思った感情は同僚が抱いた物とは真逆の物だ。これは恋であると私の勘は囁いている。
彼の女性に対する尊大な心はウラル山脈のように気高く、そしてモスクワの冬の様に冷たいものだ。それを皆は自身の熱で包み込み溶かそう、支配しよう、或いは共存しようとする。人間は自然に勝てる筈がないのにだ。
彼を屈服させたいなんて微塵も思わない。その偉大な存在の前に屈服すべきは私達の方だ。その凍てつく寒さで私の心を、温もりを閉じ込めたまま凍り付けて欲しい。
女としての恥と、国を守るべき軍人としてあるまじき感情を彼へと抱いて、その感想を同僚へ伝えるとカフカス地方に現れたビッグフットを見るような視線を向けられた。
映画を見た後、直ぐ様上司に断り長期休暇を取って海外旅行へと赴いた。全ては彼のような男性を探す為に。北欧、南欧、中東、南アメリカ、南アジア、東アジア。趣味らしい趣味もなく溜め込まれた全財産を吐き出しつつ世界各所を回ったが彼の代わりになるような存在は現実には居なかった。
そうなると嫌でも気付く、私は彼のような男性を探しているのではなく、彼を探して欲しているのだ。
それに気が付けば早々に帰国し上司に辞表を叩きつけて長期滞在ビザを取得し、彼が居るロサンゼルスに赴いた。そして映画のスタントマンを志して彼の勤めているところとは別の製作会社の扉を叩いたのだった。
全ては彼の近くで働くために。少しでも使えると判断して貰うために。使えない存在だと思われたくない、だから使い物になってから彼の元で私の全てを捧げようとした。
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