プロローグ:ランチ
重桜
鮮やかなサディア帝国旗を掲げるカフェテリアの前では、1組の夫婦が軽食を摂っている。
夫の目の前にはラザニアとカプチーノ、妻の目の前にはナポリタンとエスプレッソが置かれていたが、両者は共に食事を中途で切り上げていた。
その理由は妻の顔を見れば一目瞭然だろう。
国旗と同じくらい鮮やかな茶髪をした彼女はこの食事自体が苦悶というような表情をしているが、それは向かい合わせに座る夫に不満があるからではない。
夫の方も彼女の意図を汲み取ったようで、盛大にため息を吐く。
ラザニアの傍に投げたフォークを再び取り上げるでもなく、夫はその更に傍にあるカプチーノを手を伸ばして一口含んでみせた。
夫にとっても香りさえ薄く感じられるそのコーヒーに対する評価は限りなくゼロに近い。
だから妻の不満も重々承知している。
「そう怒るな、ザラ。何もデートのためにこんな店を選んだんじゃない。」
「あら!それはよかったわ。これがあなたのセンスなら、私はあなたとの関係を考え直さなければならなかった。」
「こんな店は君んとこから国旗を借りてるだけさ。次いでに内装に金を注ぎ込んで、商品自体への投資がおざなりになった…そんなところだろう。」
「料理もコーヒーも最悪!」
「そんなモノ頼むからだ。そいつはスパゲティなんかじゃないと言っただろう。」
「あなたのラザニアはどうなの?」
「冷凍パイシートに薄めた牛乳とレトルトのミートソースを加えたような感じかな…パイ生地は半解凍だ。」
「ほらね、人のこと言えた義理じゃないでしょう?」
「確かに。だが、来週にはきっとチッタ・エテナールでコトレッタでも頬張ってる。さっきも言ったように、ここにはデートで来たわけじゃないんだから。その楽しみは取っておいてくれ。」
夫の方はグレーのスーツ、妻の方も白のそれを着込んでいた。
遠目から見る限り2人はせっかくの休日にランチ選びを失敗した可哀想な夫婦に見えるはずだ。
たしかに大方間違ってはいないが、この感想には一つだけ誤りがある。
この夫婦はランチ選びを失敗したわけではなく、失敗すると分かっていてこの店に入ったのだ。
カフェテリアに向かい合って座っていた夫婦のうち1人が、妻のずっと奥にある建物の前に一台の高級車が止まったのを見て取った。
夫はカプチーノをテーブルに置いて、会話を切り上げる。
「…この仕事に失敗したら"叔母様"にとびきりドヤされる。チッタ・エテナールの一流店に行ってもランチを楽しめないよ。」
「はぁ…そうね。なら、さっさと片付けましょう。」
夫に続いて妻もナポリタンの殆どとエスプレッソの半分を置き去りにして席を立つ。
目的の人物の近くに高級車が停まったって、夫が急ぐ理由にはならなかった。
あの男は迎えに来る運転手を充分以上に待たせるのが趣味なのだ。
それに、この計画は極めて周到に仕組まれている。
夫の方が勘定を持ち、慌てることなく料金を支払った。
ふとレジ係の背後にある店名が目に留まる。
[1]次 最初 最後 [5]目次 [3]栞
現在:1/4
[6]トップ/[8]マイページ
小説検索/ランキング
利用規約/FAQ/運営情報
取扱説明書/プライバシーポリシー
※下部メニューはPC版へのリンク