第1話 乖離する二つの自己
「……女子供は追い回せるのに、毛色が変わった相手は無理か?」
と口にした時点では、サトルはまだ自分が魔王役を演じていることに自覚的だった。
異世界への転移……としか表現のしようのない理解不能な事態に巻き込まれて以来幾日経ったか。
今自身が見、聴き、嗅ぎ、感じているこの世界が、鈴木悟の肉体がゲームコンソールを通して体験している仮想空間である可能性を、サトルは疾うに放棄している。
主観時間で一週間以上、食事はおろか睡眠すら必要としなかった事実は、少なくとも一連のこれがユグドラシル、またはその後継サービスではあり得ないことを証していたし、それにもまして、自我を持ったかの如く言動し始めたNPCたちとの、諸々困惑させられつつも心地よい触れ合いが、ゲームの設定が丸ごと異世界において現実化した、という突拍子もない仮説に信憑性を与えていた。
だがしかし。
まだどこかでサトルは、この説明し難い体験が、どこかの誰かによって巧みに仕組まれた仮想世界の演出に過ぎず、肉体の鈴木悟もまた何らかの手段で生存し続けさせられている、という考えを捨て切れずにいた。
否、そのように考えたがっていた。
この事態を説明し得る何者かがいるに違いない。そう思えばこそ、転移直後のしばらくは、GMコールを始めとする、その何者かと接触せんとする試みに多くの時間を割いた。そしてそれらがことごとく功を奏さなかったことが、痛くサトルの心を傷つけていたことは否めない。
問題は、責任の所在である。
サトルの問いかけに応答がないことは、この事態に責任を負うべき何者かの責任放棄に他ならず、そして、仮に応答すべき者がこの世界のどこにもいないのだとすれば、責任の所在は無為に問いかけ続ける彼自身に帰してしまう。それが俄には受け入れられない彼は、果たして存在するのかどうかもわからない架空の責任者に対し、行き場のない苛立ちを募らせ続けた。
そしてどこかの時点で彼が、
「上等だクソ運営!そちらがこちらの呼びかけを一切無視するというのなら、オレも勝手気ままに魔王役を続けてやろうじゃないか」
と、半ば逆ギレ的な気分に陥ったとしても、誰もそれを責めることはできまい。
この世界における初の実戦相手に選んだ全身甲冑姿の騎士達に対して、特段その必然性もないのに煽り混じりに放たれたかの台詞は、彼のそのような心理を背景にしていた。
同時にそれは、この世界がゲームの延長線上では決してあるまい、ということをほぼ受け入れているにも関わらず、サトルの基本的な思考様式が、いまだゲームの延長線上にあったことを意味している。
事実、<転移門>を潜り抜ける僅かな時間の間に彼は初手の決断を済ませていたが、外見から判断して人間種、レベル不明の相手を転移強襲するに当たり、標的を定める時間コストが比較的小さく、かつ、基本即死で、仮に耐久されたとしても意識朦朧効果を与えて撤退の数刻を稼ぐことができる第九位階死霊系魔法、の選択に至る思考様式は、ユグドラシルにおけるPK戦の極々基本的な戦術理論に基づいたものであり、この時点でのサトルは、その判断に何の迷いも疑いも感じてはいなかったのである。
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