1話 「私」が「俺」で「俺」は「私」で
手を伸ばす。伸ばして伸ばして。
どれだけ伸ばしてもあの人には届かない。
そんな幻覚を私はずっと見続けていて。それはとても異常なことだと理解しているのだけど。それでも、たとえ幻覚であったとしても。声も顔も判然としないのだとしても。あの人に再び会えるのなら、それだけで幸せな気持ちになれる。
私はとても大事な何かを忘れている。否、きっと初めから持っていなかった。
けれど不思議な確信がある。誰か、とても大切な人がいたのだと。
それが誰だったのかも、なぜ大切だったのかも、思い出せないけれど。
それでも。私は、その誰かをずっと求め続けている。
これは、この気持ちは―――
◇◇◇
「ぶっはぁ!…はぁはぁ。あっぶねぇ!もう少し記憶取り戻すの遅かったらガチ恋状態になってた!危なっ!」
わかる。分かってしまう。あのまま放置していたら「私」は植え付けられた感情を「恋」だの「愛」だのと認識して、後戻りできなくなっていただろう。
現に、「俺」の記憶を取り戻した今でも、会ったことも無い主人公君のことを考えるだけで胸がドキドキして息が荒くなり、身体が熱くなっていく。これはマズイ。別に差別するつもりは微塵もないが、俺はノンケなのだ。まぁ、可能性の1つとして主人公が女主人公の可能性もあるのだが。
もっとも、たとえ女主人公だとしても恋愛関係に発展させるつもりは微塵もない。俺は人気ランキングで1位になり次第、すぐにでも元の世界に帰るのだ。この世界に必要以上の未練を残すような真似をすべきではない。
よし、落ち着いてきた。
「なるほど。これがテラの言っていた記憶・意識の混濁というわけですか。非常に厄介ですね」
自分が「俺」でもあり、「私」でもある。
人間の記憶と精霊の記憶が頭の中でゴチャついているのだ。たとえば、前の世界の移動手段を思い出そうとすると、車や電車と並んで「魔術による移動」の記憶が引っ張り出されてくる。逆に今の世界での食事を思い出そうとすると、野生の巨大猪の生喰いと並んで「白米とみそ汁」が…ちょっと待て、改めて思い出すと、「私」ワイルド過ぎない?なにしてんの?
ヒロインらしさのカケラもないじゃん。こんな凶暴で杜撰な女がランキング一位のキャラクターになどなれるはずがない。
「これは原作開始前に送ってもらって正解だったな…」
とりあえず記憶の方はゆっくりと分別のち統合するとして、先ずは一人称だけでも統一しよう。
「私」という正統派な一人称は勿論良いものだ。しかし、男勝りの「オレ」という一人称も個性という観点では悪くない。「私」の設定を考えても、男の意識が混ざっていたって何も不思議じゃないしな。
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