ハーメルン
硝子の兄は海月になりたい
5

 別に、言うほどヘビースモーカーではないと俺は思っている。
 そりゃ何本も吸う日もないわけではないが、まったく吸わない日だってあるくらいだ。だいたい吸いたくなるのは日が沈みきったあと、自分の思考を整理したくなるとき。高専の校舎裏、ちょうど俺が使っている部屋の真後ろが、俺にとっての喫煙所だった。そんなところで喫煙していいのかって? いいんだよ、火の始末も吸い殻の片付けもちゃんとしてんだから。
 そもそもこんな場所、よっぽどの物好きでもなければわざわざ訪れることもない。

「こんなところにいたのか、海月」

 と、思っていたのだが、今日はそうでもなかったらしい。客の顔は暗闇に隠れて見えないが、その声はよく知ったものだった。

「その名で呼ぶなって何度言ったらわかってもらえるんですかね、先生」

 高専時代の恩師、夜蛾正道。どこをどう見ても柄の悪いオッサンなのだが、そのくせ可愛いものが好きで、しかもまさかの教育者だなんてどういう冗談だと心から思う。
 こちらに歩み寄るにつれて、わずかな煙草の灯りを受けて浮き上がったその顔。うっわ、どこをどう見てもヤクザでしかない。多分幼い子どもはこの顔を見ただけで泣く。

「……お前、何か失礼なことを考えていないか?」
「言いがかりはやめてくださいよ」

 別に失礼なことじゃない、ただの純然たる事実である。
 で、何の用ですか、と煙草をくわえたたまま聞けば、夜蛾はひとつため息をついて小さなビニール袋を差し出した。コンビニの袋らしいそれには、簡単な軽食が入っている。

「硝子に頼まれた。今日は実習で行けないから、ほっといたらまともな食事も摂らない兄に届けて欲しいとな」
「……とうとう担任をパシるとかさすが俺の妹」
「感心してないで自分の食事くらい自分で何とかしたらどうだ」
「最低限は食べてんですよ、アイツがお節介なだけです」

 どうも、と一応の一言を添えて、その袋を受け取った。
 まったく、といつも通り呆れた顔をした夜蛾は、そのままとん、と校舎の壁にもたれかかる。嫌な予感がしたので、とりあえず先手は打っておくことにした。

「もう生徒じゃねーんですから、説教は聞きませんよ」
「学生時代もまともに説教を聞いたことない奴が何を言うか」
「聞いてはいましたよ、右から左に逃げてっただけで」
「それは聞いていないと言うんだ」

 今さらお前に説教をする気はない、と言われたので、それはよかった、と心からの言葉を返す。ただでさえ話し始めると長いひとなのだ、輪を掛けて長くなる説教なんてわざわざ聞いていられない。昔、短くまとめてくれませんかとうっかり口に出してマジの拳を食らったことを覚えている。あれは結構に痛かった。
 じゃあ何だ、と目線を向ければ、夜蛾は改めて話し出した。

「最近、硝子以外の生徒たちの面倒も見てくれているらしいな。一年の担任がえらく感謝していたぞ、灰原がようやく呪術について実地以外でも理解し始めたと」
「そこは一年の担任に説教しといてくださいよ。そりゃ根気はいるでしょうが、別にやる気がないわけじゃないんだから。ちゃんと理解するまで面倒見てやれよって」
「ああ、そこは本人も反省していたよ。どんな説明をすればわかりやすいのか、今試行錯誤を重ねているらしい」

 まだ七海にダメだしされるらしいがな、と夜蛾は唇をゆがめた。教師相手にも物怖じせず指摘をしてみせる七海くんの姿が容易に想像できて、少し笑う。彼を生意気だと切り捨てることなく、その言葉に耳を傾けているのだとしたら、きっと見込みのある教師なのだろう。早くまともな説明ができるようになってもらいたいものだ。

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