track9 渚が取り外した直後の胸パッドを嗅ぎたい
『なんかもう、夢が意味してる事なんてどうでも良くなって来たな』
そんな事を、この前考えた。
結論から、言う。
『お兄ちゃん、起きてる?』
全くどうでも良くなんて、無かった。
『このハンカチ、お兄ちゃんのじゃ無いよね? 誰の?』
『あんな人、どうせお兄ちゃんの事何も分かって無いんだから!』
『お兄ちゃんの嘘つき!』
『アタシに隠れて浮気ってどういう事!? 信じられない!』
繰り返される詰問と暴力、怒声と罵声。
『ずっと一緒にいようね……お兄ちゃぁぁぁん!』
そして、避けられない殺意。
あれから何週間も経つが、俺は毎日、この夢を見させられている。
何度、渚に突き飛ばされただろう。
何度、監禁されたのだろう。
何度、食い切れない食事を強要されただろう。
何度、八宝菜を食べて、そして何度──渚に殺されたんだ?
嫌なのに、痛いのに、何もしてないのに、何もできないのに、逃げたくても、死にたくなくても、謝りたくても、別の言葉を言いたくても、何もできない。
ただひたすら、夢の中の出来事を見させられて、体感させられて、そして起きたらいつも、真夜中。寝巻きが汗で濡れる感触にも慣れてしまった。
「……何なんだよ本当に」
目覚めてそう呟くのすら、最近は億劫になってきた。
汗を拭きたかったが、洗面台のそばに置いてるタオル入れから持ってきた分は全て昨日までに使っていた。
仕方ないので、一階まで降りるか。ついでに顔も洗おう。きっと今は酷い顔になってるだろうから。
同じ二階の部屋で寝ているだろう渚を起こすわけにいかないので、静かに階段を降りて、洗面所に行く。
「──はぁ……」
お湯に濡らしたタオルを絞らないまま顔に浸す。少し息苦しくなるけど、それ以上に暖かい感触が凝り固まった頭を柔らかくしてくれる。
昼間、普通に生活している俺は、勉強、水泳部、友人との会話をして。
夜、渚に殺されて、こうして顔を洗って目を覚ます生活。
こんなのが、気がつけば日常になってしまった。
当然最悪極まりない事だが、何よりも一番辛いのは。
「──お兄ちゃん」
「──ッ!?」
いきなり後ろからから聞こえた声に、全身が恐怖した。
ビクッと、殴られる寸前の幼子みたいな身体の震えを理性で抑え込みつつ、俺はゆっくりと後ろを見た。
「……お兄ちゃん? どうしたの?」
この家で他に住人は当然1人しかいない。渚だ。
「な、何でもないよ……完全に油断してたから、声に驚いただけ」
ちゃんと顔を見る事ができないまま、俺はしどろもどろに答えた。
「近頃、なんか寝付き悪くてな。ホットアイマスク代わりにほら、濡れタオルで目を温めようとね。そ、それより渚は? どうしたんだ、こんな時間に」
「お兄ちゃんを……お兄ちゃんが起きてるのが聞こえちゃって、気になったの」
「音出ないように気をつけたつもりだったけど、悪い事したな」
「ううん、そんな事ないっ。謝らないで、お兄ちゃんは何も、何も悪くないから」
「お、おう。そんな力説しなくても分かるって……それじゃあ、改めて寝るよ。おやすみ渚」
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