スペシャルウィークは退かせない
スペシャルウィークとベルノライトが蹄鉄コーナーの前で一緒に蹄鉄を選んでいる経緯について、陽室はなんら問いただそうとはしなかった。
「お噂はかねがね聞き及んでいますよ、ミス。スペの蹄鉄選びに付き合ってくださっていたようで、お手数をおかけしましたね」
「いえっ、大したことは何も! むしろ他人の蹄鉄に口出しなんてしてしまって、無責任なことを……」
「ふむ? しかしスペ、貴女はミスの助言を拒まなかったのでしょう?」
陽室の問いに頷くスペシャルウィーク。
「ベルノライトさんに色々教えてもらって、蹄鉄は適当に選んじゃダメなんだって初めて知りました。すごく助かってます!」
「とのことです。当の本人がそう言っているのですから、何も気にすることはありません」
それに、と陽室は続ける。
「チーム外からの助言を受け入れたのならば、結果がどうあろうとその責は当人とそのトレーナーにあります。助言を聞き入れる、という選択をしたのですからね。無責任も何も、最初からミスがその責任を背負う必要はないのですよ」
ベルノライトは困惑した。まるで自分の思考を読まれているような的確さだったし、そんなにあっさりと重い責任を背負ってしまえることも、彼女からすると不思議としか言えなかった。しかし陽室の口調は当然と言わんばかりで、スペシャルウィークもそれに異議を唱えようとはしなかった。
「さて、スペ。貴女のご希望通りにシューズをお持ちしましたよ。ついでと言ってはなんですが、練習用のものも比較のために持ってきました」
「ありがとうございます、トレーナーさん」
二人の達観ぶりをベルノライトが飲み込みきれていない間にも会話はどんどん進んでいく。陽室は傍らに抱えていた紙袋からふたつの箱を取り出した。
「ミス、もしもお時間が許すのならば、今しばらくスペと私にお付き合い願えますか。素人二人があれこれ考えた結論よりも、貴女の知識が優る可能性は高そうですので」
「……わかりました。私でいいなら」
ベルノライトは既に悟っていた。このパターンは、もう逃げられない。
陽室の言葉は一応質問の形を取っている。いるが、それは『当然のことを念のため確認しておくけれど』のニュアンスでしかない。そしてやはり、この状況で否と言えるほどベルノライトは図太い性格をしていなかった。
「ありがとうございます。ミスに説明しておきますと、スペがレース中に常用している蹄鉄がそも彼女向きではないという可能性をとある方に指摘されましてね。ならば現物と新品を見比べてみるのが早いだろうという結論に至ったわけです」
そう言いながら、陽室は無造作に片方の箱を開ける。
「こちらが練習用のシューズですね。……蹄鉄に限らず、シューズも買い替え時かもしれません」
「でも、これって日本ダービーの後に買いましたよね?」
「だとすればもう三ヵ月です。ランニングを抑え気味にしていたとはいえ、充分に役目は果たした頃合いですよ」
二人の会話を聞きながら、ベルノライトは陽室とスペシャルウィークの考え方をぼんやりと理解しつつあった。
スペシャルウィークはおそらく蹄鉄に限らず、トレーニングのために必要な物品に関して相当無知なことが伺える。ベルノライトにとって身近な例で言えば、それこそオグリキャップと同じタイプなのだろう。一方で陽室はトレーナーとして必要な最低限の知識はあるが、スペシャルウィークの蹄鉄選びに口出しをしていないあたり、それは本当に最低限なのではないだろうか。
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