ハーメルン
シン・メフィラスの食卓
空の贈り物Ⅴ

 見た目に違わぬ潤滑さで舌の上を転がるので、上手く位置を定めて噛み締める。すると何とも軽快な歯応えの後に、膨張しきった風船が破裂したかのような風味の爆発が生まれたではないか。小粒で()()とは、何とも凄まじい。あれだけ強烈に口内を塗り潰していたカレーの風味がすっかりと洗い流されている。

「これは良い」

 続けてもう一粒。カレーの余韻が薄らいだ分、より甘酢と合わさった爽快な風味が痛快に鼻腔を抜けてゆく。ここに再度カレーを頬張ることで改めてこの風味を新鮮に感じられ、そしてそれをまたらっきょうで整え直す、この好循環。堪らない。止まらない。まったく、自制に努めていなければ、この勢いのままに完食してしまいそうではないか。

 その前に、()()()も試しておかなくては。

 手を伸ばすのは正面、この席と調理場とを隔てるカウンターの上。メニュー表や紙ナプキン、爪楊枝等と共に並べられている半透明な立方体の容器。『ご自由にお使いください』というシールの貼られた蓋を開けると、立ち昇ってくるのは甘くも程良く塩気を帯びた香り。

「これが、福神漬け」

 カレーライスの付帯品としてらっきょうと同等に知名度の高い、非発酵型の漬物。何をもってして『福の神』を名に冠するに至ったかは諸説あるが、元来であれば7種の食材を用いているのを伝承上の7柱の神になぞらえている、という一説が個人的には好みである。見たところ、こちらの店のものは大根・茄子・蓮根に、この独特の形状は確か刀豆(ナタマメ)なる品種であったか。醤油や酒精に微かに混じっている粘膜に浸透していくような清々しい香りは恐らく、生薬にも用いられる生姜なる植物の根茎のものであろう。

「赤くは、ないのですね」

 現在(いま)の主立った福神漬けは着色料を用いた深く鮮やかな赤い色をしている、と聞いていたのだが、これは本来の醤油漬けらしい素朴な色合いをしている。付属の専用トングで数度掴み上げたものをカレー皿の末端へ乗せ、スプーンで掬い上げて口に含む。根菜らしい豊富な繊維質のこりこりとした小気味良い歯応えがして、食味は主に甘酸っぱく、らっきょうに比べると塩気が強いといった具合。比較的濃い味付けでありながらあまり()()()ように感じられないのは、やはりこの酸味が故だろうか。これまた違う形で、カレーの濃厚な風味を相殺し、心地好く口内の環境を整え直してくれる。

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