演劇界の重鎮にも母親だと思われる男子高校生
巌裕次郎は、自分が長くは生きられないことを知っていて、それでも劇団天球の面々には話すことなく黙っていた。
劇団天球の舞台である「銀河鉄道の夜」を成功させる為に、主演の夜凪景が演じるカムパネルラの役の為に、巌裕次郎は死が近付いている自分のことを夜凪景だけに教えていく。
カムパネルラは死者を乗せて走る銀河鉄道の乗客であり、自分の死を自覚している。
だからこそ巌裕次郎は自分の死の体感を語り、夜凪景を演出していくつもりだった。
自分が演劇の為だけに生まれたろくでなしだと自覚している巌裕次郎。
膵臓に悪性の腫瘍が見つかり、余命が近付いている巌裕次郎は、苦しみながらも自分の命の使い方を決めている。
「ほんとうにいいこと」をしていれば、死んでしまっても許してくれると信じていたカムパネルラのように、最高の舞台を役者達に演じさせるという巌裕次郎にとっての「ほんとうにいいこと」をしようとしていた。
夜凪景に自分の死を喰わせて、死者を演じる夜凪景を役に没入させるつもりで、巌裕次郎は余命を夜凪景と過ごす。
食事をしながらテレビをつけて、夜凪景と巌裕次郎がテレビを見ていると石杖綱吉の出演するCMが流れた。
「お母さんだわ」
「綱吉のこと、お母さんって呼んでんのか夜凪」
「だって、お母さんにしか見えないもの」
「確かに綱吉の演じる母親は、どう見ても母親にしか見えねぇからな。前に劇団天球の演劇で綱吉を使ったことがあったが、全員綱吉を気に入ってたぞ」
「やっぱり、お母さんは凄い役者なのね」
「ああ、綱吉に本気で母親を演じさせたなら、現役だった頃の星アリサを越えることもできるだろうな」
「それは凄いわ」
短時間のCMであっても、とても印象に残るCMに出演していた石杖綱吉について話していった巌裕次郎と夜凪景。
「予定が合えば、綱吉をジョバンニの母親役にしたんだがな、売れっ子の綱吉は忙しいらしい」
「お母さんは、いろんなお母さんを演じているものね」
会話をしていく巌裕次郎と夜凪景は、石杖綱吉に関する話題で盛り上がる。
「酔っ払った七生に絡まれて困ってた綱吉を見て、面白がった亀が携帯で写真撮って劇団天球の全員にメールで送信した時の写真がこれだな」
そう言って巌裕次郎が夜凪景に見せた携帯の画面に映されていたのは、石杖綱吉の腹筋を緩んだ顔で触っている三坂七生の姿だった。
「お母さんがセクハラされてるわ」
写真を見て真顔で言った夜凪景が面白かったのか、巌裕次郎は普通に笑う。
「銀河鉄道の夜」という作品は作者の死後に発見された作品であり、恐らくは遺作であろうと思われているらしい。
「ほんとうのさいわいってなんだろう」という言葉は「銀河鉄道の夜」に繰り返し出てくるが、それは病床に伏していた作者の最後の人生の疑問である。
劇団天球と夜凪景に囲まれて、一緒に弁当を食べている時に巌裕次郎が心の底から思った言葉が勝手に口から出た。
「ああ、これが幸せか」
自分がそう言っていたことにも気付いていない巌裕次郎は「ほんとうのさいわい」を見つけることができていたのかもしれない。
明日から舞台「銀河鉄道の夜」が始まる。
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