ハーメルン
【カオ転三次】マイナー地方神と契約した男の話
第4話 マイナー地方神のネタばらし

今まで書いていなかったが、俺の実家は長野県上田市にある。昭和32年までは小県郡(ちいさがたぐん)浦里村と呼ばれていた。
これだけの情報でマイナー地方神の名を当てられたら凄い。正解は、馬背(ませ)神社の馬背神だ。
上田市のマイナー地方神といえば、おそらく最初に名が挙げられるのは名神大社である生島足島(いくしまたるしま)神社だろう。残念ながら生島足島神社の所在地は塩田地区で、浦里地区とは隣になるので、ニアピン賞。
馬背神社はwikipediaに記事が存在しないマイナー神だが、その起源ははっきりしない。社伝によると日本武尊が日吉の像を勧請したというから、お隣の生島足島神社と同様に、日本神話・伝説の時代からこの地に住む一族が奉る神であったと推測される。
なお勧請したのに日吉神社でない理由は、平安時代後期にこの地(浦野庄)が日吉神社の社領になったことで、日吉神社が権威付けのために馬背神社の縁起を改ざんしたという説がある。
また社伝によると白雉元年(650)に建御名方富命を合祀した。建御名方富命は諏訪大社の祭神であり、古代から信濃の国の一大勢力であったため、馬背神を奉じる一族は諏訪大社の勢力と同盟したと見ることができる。その後の『日本三代実録』では、馬背神は建御名方富命の孫神とされたあたり、諏訪勢力に屈したとみていいだろう。
また7世紀末に東山道が開通し、この地に浦野(うまや)が設置され馬15頭が常備された。馬背神社と浦野駅が強く結びついたことは想像に難くない。
こうした背景からか、馬背神社はとんとん拍子に出世する。『日本三代実録』によると、貞観二年(860)二月五日に従五位下、貞観七年(865)三月二十三日に従四位下、貞観九年(867)三月十一日には従三位を叙せられた。しかし927年成立の延喜式神名帳には馬背神社の名はどこにもなく、以降の歴史書にもその名は出てこない。
これは馬背神を奉じる一族が権力争いに負けて没落したと見ることができるが、従三位といえば京都の伏見稲荷や伊豆の三島大社と同格であり、それが僅か50年のうちに表舞台から消失して他の歴史書でもまったく触れられていないのは、正に歴史のミステリーである。
こうして歴史に埋もれた馬背神社であるが、完全には消滅していなかった。江戸時代には家畜として欠かせない馬の守護神として、この地の産土神として信仰され、明治六年に浦里村の郷社として列され、今に至る。

*

「神仏習合において馬背神は馬頭観音の一側面として扱われ、馬頭観音は馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされている。垣間見た異界に動物霊が多かったのも、馬背神=馬頭観音の影響ではないか、と推察する…… と」

山梨の星霊神社へ戻る道すがら、提出するレポートの文面を練ってメモ帳に書きなぐる。

「メシア教に雑に封印されたサクナヒメという前例もあるし、あの異界も同じだと嬉しいんだが。浅いとこは難易度低いし、上手いことガイア連合(うち)で管理して訓練場なり稼ぎ場として有効活用できれば…… でもあるかどうかも知らん地元オカルト組織を探して、そこから折衝しないといけないよなぁ」

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