#0x06 The Point of No Return (3/3)
一呼吸して、僕は続ける。
「僕にとっての千束さんは、いつだって『無敵のヒーロー』だった。涼しい顔で、簡単に仕事をこなして。みんなを笑顔にして。……悩み事だって」
言葉がまとまらず、ぶつ切りになって出ていく。
つまり僕は千束さんに出来ないことなんてないと、思っていたんだ。どんな状況からだって、彼女さえいれば、切り抜けられるって。今まで、ずっとそうだったから。
「勝手にそんなことを考えて、勝手に期待して。だからあの時、君があの男にいいようにやられてるところを見せられたとき、多分僕の頭の中はぐちゃぐちゃだった。君をあんな目に遭わせたアイツを、マジマを許しちゃおけないって思って。こんなことあっちゃいけないって、現実を認められなくて。そして何より――僕は多分、僕自身を許せなくなった」
言い切って、千束さんを見据える。合った視線の向かい側で、その瞳が、かすかに揺れていた。
「きっと僕は今まで、君のことを真っ直ぐ見れていなかったんだ。勝手に君に、僕の憧れを仮託していた。それに今更気づいた自分が、許せなくて、もどかしくて、悔しくて」
だから、僕は。
「だからせめて、何とかしなくちゃいけないんだって、思ったんだ。君を、なんとしても助けるって。死なせないって。絶対に」
視界が滲む。目が、潤んだ。今更ながらに零れ出て、頬を伝うこの涙は、果たして嬉しさから来たものなのか、或は悔しさからのものなのか。
でもそんなことは、今更どうでもよかった。ただ、今抱えるこの感情を、感慨を、言葉に載せた。
「生きててよかった。帰って、これて……本当に、本当、に」
千束さんを、正視できない。今までも散々情けないところを見られているはずなのに、それでも今の自分の顔を見られることだけは、どうしようもなく嫌だった。
目を背けて、俯く。
「ごめん、千束さん。……ちょっと、顔洗ってくるよ」
これはだめだ。話にならない。
そう思って、バックヤードの手洗い所に出向くために彼女に背を向けて、一歩を踏み出した。
しかしその刹那に、肩を掴まれた。強い力だった。そのままぐい、と引き寄せられ、身体が反転する。そして――
「――え?」
知覚が、断片化する。
花の薫り。頬をくすぐる、白金の髪。背中に回された手。近くに聞こえる、彼女の吐息。
「千束さん……?」
僕は千束さんに、抱きしめられている。
それを理解するのに、十秒ほどの時間を要した。
「大丈夫」
あやすような口ぶり。
「大丈夫、私はここにいる」
背中を、ぽんぽんと叩かれた。
「泣かないでよ。私は隼矢さんの、いつもの澄ました余裕の顔が一番好き」
抱きしめる腕の力が強くなって、そこで僕は理解する。
背中に感じる彼女の腕は、ほんの少しだけ震えていた。
「私を助けてくれたんだから、もっと、胸を張ってよ」
僕の肩に顔を埋める千束さんの少しくぐもった声が、耳に、頭に響く。
だらり垂れ下がっていた腕を、ほんの少しだけ彼女の身に添える。
そうすれば、嫌でも気づく。いつも、その存在感からかどこまでも頼もしく見えていた彼女の肢体は、しかしこうしてみれば年頃の少女らしく繊細で、そして華奢なものだった。
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