ハーメルン
世界の背表紙で、君と踊ろう
#0x03 Singin' in the rain (2/2)

 次の日。前日から降り続いている雨はよりその勢いを強くして、喫茶リコリコの窓ガラスに、その雨音を奏でていた。
 午前十一時。店のカウンターには、僕の他に二人の姿があった。ミカさんと、ミズキさん。各々が僕を挟むような位置に座って、その手にはそれぞれコーヒーカップを持っていた。いや、ミズキさんはそれだけではなくて、いつものように酒瓶を抱えていたが。

「それで」
 ミカさんが、口を開く。
「二ヶ月になるが、どうだ。ここには慣れたか?」

 厳然ながらも優しげな、いつもの雰囲気を纏って、彼は僕にそう尋ねた。

「はい、ミカさん。おかげさまで、何とかついていけていると思います」

 返した僕に、横からミズキさんが絡んでくる。

「なぁにが『何とか』よ。もうすっかりリコリコの情報担当じゃない、クルミと一緒に」

 おかげさまであたしゃお役御免だわー、などと嘯いて、彼女は僕の肩に手を回す。どうやら僕が店に来る前に、一杯以上ひっかけていたらしい。まあ、それはいつものオフの彼女の姿とも言えた。

「……いえ、ミズキさんにも感謝しています。DAとの交渉とか、現場の偽装工作とか、ミズキさんには助けてもらってばかりですから」
「いや、真面目か」
「はい、大真面目ですよ」

 普段の任務において、確かにミズキさんの影は薄い。しかしそれはミズキさんのこの店における存在価値には何らの影響を及ぼすものではないと、僕は思っている。
 彼女の主戦場は、任務の前と後。千束さんやたきなさんが鉄火場に入るにあたって、後顧の憂いを断つための、縁の下の力持ち。そしてそれに加えて、適度な混ぜっ返しで場を和ませる、喫茶リコリコのムードメーカーの一人。あらゆる意味において、彼女なしにはこの店はうまくやっていけないだろうことは、間違いなかった。

「ったく、ほんと口がうまいわねぇアンタって。やっぱそういうのも、公安仕込みなわけ?」

 思わせぶりな目つきで、ミズキさんは訊ねてくる。

「口がうまいって、全然そんなことないですよ。……勇み足、思い違い、自信過剰。そんなんばっかです。僕たちみたいな人種って、みんな無駄にプライドが高いんですよ」
「公安……じゃなくて、ギークが、ってこと? まあ、あのいけ好かないちんちくりんも、やたらと尊大な口の利き方しやがるわね、確かに」

 いけ好かないちんちくりん。クルミのことだろう。口ではそう言うミズキさんだが、あれで彼女はクルミの腕前のことを、相当に買っている。確かな親愛と、ほんのちょっとの対抗心の裏返し。ミズキさんのクルミに対する悪態は、そんなところから出てきているのだろう。

「やっぱり……悩んでいるのか? 隼矢くん」

 後ろから、声がかかる。振り向くと、真剣な表情で、ミカさんが僕のことを見ていた。何のことだか、なんて誤魔化すことも一瞬考えたが、それには全く何の価値もないことに気づく。ここには今、僕よりも大人な二人しかいない。隠し立てしたところで、自分のちっぽけな自尊心を守る以外に、何の意味があるというのか、と。

「……分かっちゃうものなんですかね、ミカさん」
「ま、あれだけテンション激下がりじゃねー」

 ウォールナット護衛作戦の時のハイテンションぶりが懐かしいわねぇ、などと。横から口を挟む、相変わらずの減らず口の、ミズキさん。

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