「もう死んでいる」
私は少し前、短距離走をやっていた。
それなりに足の速い方だった。これはクラスで一番足が速いとか、小さいころかけっこで負けたことがなかったとか、そういった規模のものではなく、同年代の女子では全国で一番速いとか、そういった類のものだった。
全中での成績を残し、有名な高校への進学が決まり、若手のホープと呼ばれ、あの頃の私は輝いていたと思う。慢心も多分に含まれていたし、恐らく他人の鼻につくような言動もしていたと思うが、それでも私からしてみれば、未来は爛然とした輝きに染まり、私の心もまた、鮮やかに輝いていた。
だが、今の私は違う。未来は暗く、私の心もまた、夜の新雪に深く埋もれたかのように、絶望に沈んでしまっている。
きっかけは些細なことだった。中学校での大会が全て終わり、ほんの少しの時間、手持ち無沙汰になった時期のことだ。当時の私は先生に「たまにはリフレッシュしてこい」と言われていたこともあって、娯楽を探していた。
とはいえ、今まで走ることそのものが娯楽であり生きる意味であったような人生を送ってきた身の上だ。ちょっとした時期をいい感じに潰せるような他の趣味など持っているはずもなかった。読書はそもそもじっとして文字を眺め続けるというのがどうにも長時間耐え難い苦行のように感じられてしまったし、スポーツなど体を動かすのも本来の目的を考えるとよくないだろう。芸術関連では、音楽は好きだったがあくまでそれは合間合間に聴くものであり、例えば演奏を初めてみるだとか、熱中・没頭するようなものにはどうしても思えなかった。
そして私の少ない脳が出せる候補の残り1つに、ゲームがあった。
正直、ゲームにあまり良い印象がなかった。ゲームといえば、目が悪くなるとか、クラスの暗い雰囲気の子や、スポーツにあまり打ち込めなくなった「不真面目」な子が遊んでいるもの、という印象がある。まるで手を出したが最後、私の足まで遅くなってしまいそうで、有り体に言ってしまえば、「悪いモノ」だった。
だが、ふと小耳に挟んだ噂には1つ、私にとって大層都合が良い内容があった。
聞けば、最近発売されたVRゲーム?というのは私が想像するような画面とボタンで遊ぶようなものではなく、電子の世界に本当に入りこんで、まるで実際の肉体を動かすように遊べるという。VRゲームについて調べてみる限りそれは恐らく事実のようで、そしてそれは、運動ができないが運動がしたいという状況にある私にとって、本当に都合が良い情報だった。流石に「体を動かした気分になる」だけであれば、肉体への悪影響は無いだろうからだ。
そうして私はこの忌々しい電子空間に……「ソードアート・オンライン」に来てしまった。
私がここから出ることは叶わない。少なくとも、長期間ログアウトできないという明らかに異常な現象に目を瞑って、ゲームから解放されることを信じて自殺するだけの勇気と無謀さが私にはなかった。そして、全てを投げ出すでもなく他のプレイヤーと自身を解放するため命を賭けてゲームを攻略するでもなく、最初に居た場所、この「はじまりの街」で無為に時間を過ごしている。
正直、もう何もやる気が起きない。かりそめの肉体が作り物の飢餓感を訴えてくるが、何かを食べる気にすらなれなかった。だって、もう、私の人生は終わっているのだから。
ここはすごろくのスタート地点に相当する場所らしいが、それでも全プレイヤーにとって重要な、現在の攻略状況という情報は噂となって耳に届いてくる。既に、そう短くない時間(体感で1カ月ほどだろうか)が経っているはずだが未だゲームの1/100も攻略が進んでいないらしい。それどころか、攻略に向かった勇敢なものの多くが死亡したと聞く。
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