ハーメルン
獅子帝の去りし後
第十三節

 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー退役元帥は新帝国暦〇〇四年、宇宙暦八〇二年現在、六四歳を迎える年齢で健在である。

 
 ミュッケンベルガー伯爵家は前王朝において武門の家系として知られ、グレゴールは旧帝国暦四二九年に先々代の当主ウィルヘルムの次男として生を享けた。

 グレゴールの兄たる長男は知性は充分ながら生来病弱であり、父親は健康で自分に似た気質の次男に家督を継がせようと考えていた節があった。だが、その意思を明言する前にウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将は旧帝国暦四三六年、宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦にて戦死を遂げるのである。

 当主を失った伯爵家は、幼少であった長男が親族から後見役を迎えて継承し、成人後に正式に家督を継ぐ事が取り決められた。その弟であるグレゴールを後継に推す声も少なからず存在したが、当人は仲の良かった兄と家督争いをする意思など持ち合わせてはいなかった。その代わりグレゴールは亡父の志を継ぐべく、軍幼年学校と士官学校を経て帝国軍人のエリートコースを歩む道を選択したのである。

 士官学校を首席で卒業した後、任官したグレゴールは前線と後方の双方で功績を重ね、風格ある武人としての名声を獲得するに至る。そして大将に昇進して個人の旗艦を与えられたグレゴールは、その巨大戦艦を『ウィルヘルミナ』と命名した。これは夫亡き後も気丈に息子たちを育てた母の名であるのと同時に、父の名であるウィルヘルムにちなんだものでもあった。古来より艦船は女性にたとえられてきた存在であるため、あえてグレゴールは女性名詞の方を自らの旗艦名としたのである。

 病弱ゆえに四〇代半ばで死の床についたミュッケンベルガー伯爵は、軍人として大成した弟こそ後継にふさわしいとして家督を譲ろうとした。しかしグレゴールはそれを謝絶し、分家として兄の嫡男を支える意向を示したのであった。

 兄の死後、グレゴールは兄が遺した長男の後見人となった。伯爵位を継いだその甥も体が弱く、軍人としては後方勤務しか務められなかったが、旧帝国暦四八〇年に誕生したその息子は健康体かつ曽祖父ウィルヘルムと大叔父グレゴールに似た気質に育ち、父と大叔父を喜ばせた。その子には曽祖父と同じ名が与えられ、将来のウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー二世伯爵およびゴールデンバウム王朝の軍人として活躍するかに思われた。

 だが、旧帝国暦四八八年に勃発したリップシュタット戦役によってゴールデンバウム王朝は事実上倒れ、勝利者たるラインハルト・フォン・ローエングラムによる独裁体制が確立する。

 ミュッケンベルガー伯爵家は貴族連合軍には参加せず中立を保ったが、ローエングラム体制に協力的であったわけでもない。戦役の前年に退役した大叔父グレゴールや現当主の父親らは新体制に出仕するつもりはなかったが、次期当主たるウィルヘルムには「お前はまだ幼い。新しい時代をわれらに従って生きていく事もない」と告げ、将来の進路をどうするかは本人に委ねた。
 
 ウィルヘルム少年は悩み抜いた結果として、軍幼年学校に進学し、新王朝の軍人として生きていく事を選択したのであった……。


「何かご用でしょうか」

 椅子から立ち上がった二人の下級生が上級生に対し礼を行ない、名を呼ばれたグスタフが問いかける。その口調は丁寧ではあったが、どことなく白々しさがあった。恐らくは見当がついているのであろう。そしてユリウスにも心当たりは存在した。

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