第九節
歓呼の声が鳴り響いている大広間を埋め尽くす群臣たちの最前列には、帝国における文武の最高幹部たちが立ち並んでいる。
その中で、武官の筆頭たるウォルフガング・ミッターマイヤーの傍らには、愛妻たるエヴァンゼリンと、彼女に抱かれた養子たるフェリックスの姿があった。
当初ミッターマイヤーは、皇帝夫妻の結婚式において乳児であったフェリックスが泣き出しそうになったのを慮り、フェリックスの戴冠式への参列を見合わせるべきか否か、いささか悩んだものであった。だが、摂政皇太后であるヒルダにその事を相談した所、彼女は迷いなくフェリックスの参列を求めたのである。
「よろしいのですか? その……」
明快なミッターマイヤーが珍しく言いよどむのを見て、皇太后陛下は柔らかに微笑する。
「元帥のお子様は、新帝の大事なご友人ですもの。戴冠式にはぜひ出席していただかないと、のちのち彼らに恨まれてしまいますわ」
その言葉に、今や宇宙最高の勇将となった人物は恐縮しつつ一礼したのだった。
かくして生後一歳三ヶ月半のフェリックス・ミッターマイヤーは、友人たる生後三ヶ月のアレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムの戴冠式における参列者のリストに名を連ねる事となる。
なお、余談ながらフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが軍最高幹部の面々の中ではミッターマイヤー一家から最も離れた位置に配され、彼の新帝を讃える歓声が皇帝夫妻の結婚式の時と較べて控えめであった裏の事情を知っていたのは、列席者の中のごく一部のみであった……。
「大丈夫ですよ、あなた。あのビッテンフェルト提督のお声を近くで聞いてもすぐには泣かなかったのですから。きっとこの子はロイエンタール提督の強いお心を受け継いでいるに違いありません」
フェリックスが歓声に驚いて式の途中で泣き出しはしないか、と懸念を漏らした夫に、妻は穏やかに笑いながらそう答えたものである。
後にそういった夫婦間の会話を知ったエルネスト・メックリンガーは、「ミッターマイヤー夫人は、宇宙一の勇将たるご夫君よりも胆が据わっておいでだ」と評した。それを聞いた同僚たちは大笑し、当の『疾風ウォルフ』は少し肩をすくめつつ苦笑せざるを得なかったのだった。
かつて自分たちの結婚式の際、父親は祝福に訪れた美丈夫たる親友ロイエンタールの姿を見て花嫁の目移りを心配したが、母親は夫の懸念を「うちの息子だってけっこういい男ですよ」と一笑に付したものであった。結局は父の懸念は杞憂に終わり、のちに家族間での笑い話の一つとなったのだが、どうもミッターマイヤー家の男が妻よりも小胆であるのは伝統であるらしい。さて、うちの二人の養子たちはどうなる事やら……。
新帝即位の瞬間に大広間に満たされた歓声に、幼いフェリックスは驚いて周囲を見渡すような仕草をしたものの、養母の予想通り、感情を害したりはしなかった。ほどなく彼は、壇上の玉座に座している大公妃アンネローゼに抱かれた一歳年少の乳児に青い双眸を向け、しばらくはその視線を動かす事はなかったのである。
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