ハーメルン
犬とお姫様
まさかの来客に、比企谷八幡は絶句する

 目を覚まし、身体を起こそうとした八幡は腕に柔らかな重みを感じた。

 馴染みの薄い天井。人の暮らしている匂いのしない広い部屋。二人は余裕で寝ることのできる、大きなベッドの上。

 ここがどこで、昨夜何があったのか。段々と思い出してきた八幡は、腕の重みはそのままに小さく溜息を吐いた。

 重みの原因である陽乃は、気持ち良さそうに眠っている。それを起こすのは憚られたのだ。

 起きている時でも十分過ぎる程美人である陽乃だが、寝顔にはまた別の趣がある。神秘的とでも言えば良いのだろうか。起きている時が美しくないとか、そちらの方が好きという訳では絶対にないが、口を開かず力を抜いている寝顔は、肩書きの通り良家のお嬢様然としている。

 恋人になってから解ったことだが、陽乃にも弱点があった。

 寝起きが非常に良くないのである。

 態との場合を除いて、陽乃が約束に遅刻をしたことは一度もないが、どうも体質的に惰眠を貪ることが好きなようで、その日急ぎの予定がない場合は中々ベッドから出てこない。惰眠を貪っている間は大抵寝ぼけており、そこでは普段からは信じられない程甘ったるい声を出す。

 これも恋人の役得かと思えば、そうでもない。

 陽乃にとって、寝ぼけている自分というのは間違いなく恥である。そんな恥を晒すことは例え恋人であっても許せないものらしく、それがどういう事情かに関わらず寝ぼけている所を見られた後は、必ず報復が実行される。朝起きて、至福に包まれた瞬間に暗い未来が確定するというのも目覚めの悪い話であるが、一緒に目覚めた時は大抵そんなものである。

 後の報復が確定していると言っても、寝顔が美しいことに変わりはない。それに、この寝顔を見ることができるのは、世界でただ一人だ。それが自分だと思うと気分も良い。

 このままゆっくり寝顔の鑑賞でもしようか。視線を戻した八幡の視線はそこで、陽乃のそれと交錯した。神秘的な雰囲気の寝顔は消え、瞳には蠱惑的な気配が満ちている。

「おはよう、八幡」
「おはようございます」

 朝の挨拶を交わしたが、声は間延びしており全くと言って良いほど覇気がない。まだまだ寝ぼけているのだろう。んー、と小さく呻いた陽乃が、マーキングする猫のように身体を押し付けてくる。その間、八幡は無抵抗でじっとしていた。手を出しても怒らないだろうし、報復内容が過激になることもないだろうが、途中で介入すると覚醒が早くなるのは実験済みだ。どうせなら良い思いを長く味わいたいというのは、男のサガである。

 結局、陽乃の意識がはっきりとしだしたのは、それから十分もした頃だった。覚醒した後の行動は早い。ベッド脇に用意してあったラフな部屋着に着替えて、リビングの方にさっさと歩いていく。薄手のブラウスにジーンズだ。寝転がりながら後姿を眺めていた八幡には、歩くのに合わせて揺れる陽乃の尻が良く見えた。

 この世全ての幸福がここにあるのでは、という気になるが、恥ずかしい思いをさせられたら必ず報復するのと同様に、相手にタダで良い思いをさせたりはしない。陽乃に言わせると自分は顔に出るタイプらしく、どの程度良い思いをしたかというのが、勘で解るらしい。これからリビングに行けば、どの程度良い思いをしたかというのはしっかりと看破されるだろう。それが先ほどの行為の報復と重なるとどういうことになるのか。背筋がゾクゾクして止まない。

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