002 本名不詳の男
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日本の見慣れた居酒屋とは似ても似つかない酒場のカウンター席。
今日この日、全くもって理不尽な解雇通告を受け取った日本人ロックはなんとはなしにその名前をオウム返しのように呟いた。
「ウェイバー?」
酒を飲んでいたこともあり、いつもよりも少しばかり声が大きくなっていたこともあったのかもしれない。
しかしそれ以上に、その名前はイエローフラッグの中によく響き渡った。
理由は簡単。今までバカ騒ぎしていた店内の連中が、嘘のように静かになってしまったからだ。そのことに疑問を覚えるロックに、ダッチがその解答を示した。
「その名前、あまり大声で言わない方がいいぜ。言ったら呪い殺されるわけじゃねえが、この街に来て日が浅い連中はソイツの逸話に震えあがっちまうからよ」
そう言い新しいボトルを開けるダッチは、口にしているにも関わらずそういった負の感情は抱いていない様子だった。
ますます分からない。ロックは徐に店内を見渡した。
どう見たってカタギの人間には見えない。店内に設置された丸テーブルに着いているのは全身刺青の黒人だったり顔中ピアスだらけの強面、その隣に着く女たちも一般人とは思えない派手で露出の高い衣服を纏っている。テーブルの上のカードやグラス、財布なんかと平然と肩を並べて鎮座している拳銃が、しかしながら不自然と思えない程に使い手の連中が恐ろしいのだ。
そんな連中が名前を聞いただけで思わず口を閉じる程の人間。店の中央で乱闘紛いの殴り合いを起こしていた男たちまでがその手を止め、こちらを見ていた。
恐怖の象徴のような存在なのかと思えば、ダッチは気安くその名を口にしている。一体どんな人物なのか、ロックの中でウェイバーと呼ばれる人間の人物像が全く定まらない。
「気になるのかい? ウェイバーのことが」
「あ、えっと」
「ベニーだよ。反対側で飲んでるタフで知的な変人のお仲間さ」
ベニーと名乗る金髪髭面の青年は、ダッチやレヴィとは異なる雰囲気を醸し出していた。
どちらかと言えば、ロック自身に近いものを感じる。明白な戦闘タイプでないというだけなのかもしれないが。
それを伝えると、ベニーは小さく笑った。
「ボクは情報系統が担当だからね、二人みたいに敵本陣に突っ込んでドンパチやるなんてことはしないよ」
「……あんたはどうしてこの街に?」
「二年くらい前かな。以前はフロリダの大学に通ってたんだけど火遊びが過ぎてね、当時のマフィアとFBIを同時に怒らせちゃったんだ」
何でもないように話すベニーだが、ロックは思わず持っていたグラスを落としそうになった。
マフィアとFBIから同時に追われるなど異常だ。日本で言えばヤクザと特殊警察から追われるようなものである。一体どんなことをすればそんな事態に陥るのか。
「暫く逃げてたんだけどやっぱり捕まっちゃって、スーツケースの重石代わりに詰められそうになっていたのをレヴィに助けてもらったんだ」
「レヴィってあの女ガンマンか」
ちらりとロックは後方の丸テーブルに目をやった。
机上に置かれたバカルディをロックでもなくストレートで豪快に呷る彼女の姿は、どうしても人助けをするようには見えない。ふと視線が合えば、今にも噛み付いてきそうな険呑さだ。
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