0:召喚前夜
まもなく二月を迎える夕べ。遠坂 凛がそれに気付いたのは、後見人兼兄弟子からの嫌味たっぷりの電話を叩き切った時だった。電話の相手は言峰 綺礼という男で、神父という聖職者である。だが、その根性と口のねじくれていることときたら、金属たわしの繊維のごとくであった。彼との会話は、それで神経を逆撫でされるようなものである。
容姿端麗、文武両道、品行方正、挙措優雅。穂群原高校での遠坂 凛を飾る四字熟語だ。ほっそりと華奢で、身長のわりに顔は小さく、手足は長く、白い肌を豊かに波打つ黒髪が飾っている。翡翠の瞳が気位の高い猫を思わせる顔は、彼女に1/4流れている西欧の血を感じさせた。その全校生徒憧れの美少女が、彼らが見たら目を疑うような勢いで受話器を叩きつけると肩で息を吐く。勢いで首筋にまつわる長い黒髪を払う。
その時だった。首にかかっていたわずかな重量がふと消失し、ついで体温であたためられた硬質な感触が胸の谷間を滑り落ちる。
「やだ……。チェーンが切れちゃったの!? もう、こんな時なのに!」
慌てて赤いハイネックのセーターの襟元を引っ張り、手を突っ込もうとしたが不必要だった。そのまま、豪奢なペルシャ絨毯にセーターの裾からこぼれ落ちたからだ。凛の顔が微妙に引きつった。華奢な体型とは表裏一体、身体の特定部位のボリュームがやや不足しているのは本人にとっては悩みの種だった……。
「まったく、幸先が悪いったらないわね……。
それにしても綺礼のヤツ本当に嫌味ったらしいんだから!」
とりあえず、後見人への八つ当たりをつぶやきながら床に落ちた遠坂家の家宝を拾い上げる。それは真紅のルビーと白金の鎖のペンダントであった。鳩の血色の宝石は、凛の親指と人差し指で作った輪ほどもある大粒のトリリアントカット。石を留める枠や鎖、留め金にいたるまでふんだんに白金を使った重厚なデザインである。女性のアクセサリーというよりも、ヨーロッパの王侯貴族が身につけた財宝といったほうがふさわしい。
実際、このペンダントは遠坂家の初代が入手し、六代目である凛が引き継いだ由緒あるものだ。遠坂家は、この冬木市有数の代々続く資産家であった。しかし、それは一面の顔に過ぎない。月の裏側のように世間から隠されたもう一つの姿。根源「」に至る聖杯を育む冬木市を管理する魔術師。それこそが遠坂家の真実であり、このペンダントにも同様のことが言えた。宝石やアクセサリーとしての価値よりも、代々の当主が営々と込め続けた魔力こそ、この家宝の真実なのである。
遠坂の魔術特性は流動と変換。魔力を込める触媒として、宝石との親和性が特に優れていた。魔術の触媒としては、上質で、由緒があり、かつ大粒な宝石ほど価値は高い。必然的に遠坂家の魔術は金を食う。資産家でなければそもそも魔術を継承できないのだ。
「あれ、チェーンは切れてないみたいね。どうして落ちちゃったのかしら」
半ばほっとしつつ今度は留め金を触る。そして、より事態が深刻なことに気付いた。留め金の爪を引くと、まったく手ごたえがなく動いた。これでは鎖が留め金から抜けてしまう。
「ちょっと……冗談じゃないわよ」
先ほどの電話を思い出す。本来約60年周期で行われる、根源に至るための儀式、聖杯戦争。七人の魔術師によって行われるのは、精霊にまで昇華し、世界の外の「座」にいる英霊のコピーの召喚である。もともと冬木市には良質な霊脈があった。しかし、単純にそれを集積しても根源に至るほどの力にはなりえない。世界を正常に保とうとする力が、守護するものこそが根源なのだから。
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