ハーメルン
怠け者の魔法使い
第9話 『物語』

「ここなんだけど、蘭子ちゃんは甘いもの大丈夫?」
「甘美なる蜜は、我が血を昂ぶらせるわ!」

 杏が蘭子を連れて案内したのは、彼女をスカウトした場所から少し離れた場所にあるスイーツ店だった。甘い香りが表にまで漂ってくるそこは、その匂いに引っ張られるように集まってきた大勢の少女や若い女性、そしてごく少数のスイーツ好きの男性で賑わっていた。

「よし、それじゃ入ろっか」

 杏はそう言ったものの店の入口には向かわず、店の横にある小道に入って裏へと回った。彼女の後ろをついて来る蘭子が、首をかしげて怪訝な表情を浮かべる。

「店に入るのではないのか?」
「入口から入ったら、お客さんが騒いでパニックになっちゃうからね」
「成程……。伝説の勇者の気苦労は計り知れぬ、というわけだな」

 独特の言語で納得する蘭子に苦笑いを浮かべながら、杏はどう見てもスタッフ用の出入口にしか見えないドアを開けて中へと入っていった。両脇に段ボール箱が積み重なる狭い通路を通り抜け、スタッフが忙しなく働く厨房の脇へと差し掛かる。当然ながらこんな場所に入ったことのない蘭子は、おっかなびっくりといった感じにあちこちに目を遣りながら、杏のすぐ後ろに貼りつくようにして歩みを進めていく。
 と、そのとき、調理スタッフらしき若い女性が杏達の姿を見つけ、驚いたような表情を見せて駆け寄ってきた。怒られる、と蘭子が思わず身構えていると、

「杏さん、いらっしゃいませ!」

 怒るどころか、ニコニコと満面の笑みで杏を歓迎していた。自分の心配が杞憂に終わってホッと息を吐く蘭子を尻目に、杏がその女性に問い掛ける。

「奥のVIPルームを使いたいんだけど、空いてるかな?」

 すると女性はその部屋のある方をちらりと見遣り、少し困ったように眉を寄せた。

「えっとですね、今“社長”がいらっしゃってて……」
「……へぇ」

 すると杏は何かを企むようにニヤリと笑みを浮かべ、VIPルームへと早足で歩いていった。蘭子とその女性が慌てて追い掛ける中、杏は部屋のドアをノックもせずにいきなり開けた。

「――あ、杏ちゃん! なんでここに!」

 部屋の中で幸せそうな表情でパフェを食べていた女性――三村かな子が、驚いたように肩を跳ねて大声をあげた。テーブルの上にはかな子が食べているパフェだけでなく、ケーキやアイスなど店中のスイーツが所狭しと並んでおり、部屋中に甘ったるい匂いが充満していた。
 圧倒されるほどのスイーツの量に、そして突然の“奇跡の10人”登場で目を丸くする蘭子に対し、ある程度この光景を予想しており、かつて彼女と“同僚”だった杏は特に驚く様子も無くかな子の正面に腰を下ろす。

「やっほー、かな子。まさか“査察”の真っ最中だとは思わなかったよ」
「さ、査察だなんてそんな……。私はただ、美味しいスイーツを食べに来ただけで……」
「いや、社長が自分の店に来て自分が開発した商品を食べるのは、立派な“査察”だからね」

 杏の言葉に、かな子は「そんなつもりは無いんだけどなぁ」と呟きながらパフェを一口食べた。その瞬間、何も言わなくても美味しいことが伝わってくる満面の笑みを浮かべた。
 見た目にはスイーツ好きの可愛らしい女性にしか見えないかな子だが、現在彼女はアイドル活動やグルメリポーターをする傍ら、グループ全体で100店舗を超えるレストランを経営する会社の“代表取締役社長”も勤めている。

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