十二章 肝付兼盛への期待
加久藤城は堅城である。
比高五十三メートルほどの独立した丘陵上に建築され、城の周囲が断崖となっているまさに教科書通り要害の城だ。加えて北側の鑰掛口は『鑰掛うど』と呼ばれる絶壁で、如何なる者の侵入も阻むであろう事が容易に想像できる。
北原氏が真幸院小田村の山に『久藤城』として築き徳満城の支城としたのが前身だが、史実だと永禄五年(1562年)に北原氏が滅ぶと島津家の所有となり、島津義弘により中城と新城を加えられ、それらを縄張りに加えて『加久藤城』と名を改められた。
つまり、今はまだ久藤城と呼称する方が正しかったりするのだが、此処を伊東相良連合軍を食い止める拠点とする為に急ピッチで増築している故に最終的な呼び名は史実と同じく加久藤城になるだろう。同城は現在の宮崎県えびの市加久藤にある平山城、伊東氏の史料には『覚頭城』と当て字されていたりもするお城である。
伊東氏の治める勢力圏と最前線に位置する城の一角、見晴らしの良い室内。初の籠城戦だ。虎の子と言っても過言ではないほど頼りにしている肝付兼盛殿と打ち合わせを行っていた。
「兼盛殿、どうやら伊東義祐は三ツ山城へ入城を果たしたようですぞ。数は約4000。伊東義祐を総大将に、伊東祐信、伊東又次郎、伊東祐青などなど。総勢十六名ほど名のある武将が参陣なさっているようですな」
三ツ山城とは、史実では永禄九年(1566年)に伊東義祐が、薩摩の島津氏への抑えの城とする為に、またその島津の飯野城攻撃の前線基地として、須木城主である『米良重方』に命じて作らせた城である。西方、北方、東方を石氷川が囲むように流れている。それは天然の堀となり、南方はシラス土壌による断崖絶壁で容易に登れないという、天然の要害を利用した難攻不落の城としても有名だ。
本来なら三ツ山城が完成する前に島津家と伊東家で合戦が生じる。しかし、この世界では島津家の主だった武将が討ち取られる戦は発生せず、三ツ山城は大した妨害もなく既に完成しているのだ。
だからこそ敵方の動きは読みやすい。
最前線拠点に相応しい城があるなら其処に陣を敷くのは当然と言えよう。読み通り奴らは三ツ山城に入城した。昨日未明の話である。
「ふむ。現時点では予定通りといったところか」
兼盛殿は大仰に頷いた。
大軍が迫っている危機感を感じさせない態度。未だ三十代だが歴戦の勇士を彷彿させる仕草に、俺も緊張することなく事前の準備を進めることができる。
「相良氏も人吉城を発ったという噂。三ツ山城へ着くのは四日後といったところでしょうか」
「彼らが此処を素通りする可能性は?」
「有り得ませぬな。伊東義祐は背後の憂いを無くすために加久藤城を無視すること適わず、相良氏は伊東義祐から救援を求められた立場。勝手な行動は取れぬでしょう」
建前は両者とも肝付家の救援である。
特に相良氏は伊東義祐から密書によって頼まれた間柄。つまり第三者。勝手に薩摩国へ攻め入っては伊東家の面目を潰してしまいかねない。
加え本国に義弘様もいると流言を飛ばしている。
まかり間違って攻め入っても、それはそれで用意している策を披露するだけだ。
俺からしてみればどちらでも構わない。
「成る程。言い得て至極よ」
納得がいったように頷く兼盛殿。
俺は小姓の用意した湯飲みに手をつけ、喉を潤してから頼み込むように告げた。
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