少年は目覚めを自覚する
あのお方と出会ったのは、いつの頃だろうか。少なくとも、物心がついて程ない頃だったはず。
世話人の女中に手を引かれ、誇らしげに胸を張って立つ父の傍らにいるその人を見た時――心を奪われた。
身体を構成する細胞が、脳を走る電気信号が、肚の奥底から生まれる熱が。全てが視線の先にいる少女に注がれる。
この時少年――いや幼児と呼んでも差し支えない年齢の子供は悟ったのだ。
自分はこの人のために生まれてきた人間なのだ、と。
これより先の三代、御阿礼の子の護衛役を一人で務め上げることになる男――火継信綱はこう語った。
火継の家は代々御阿礼の子の護衛をする一族であり、側仕えになれる者は一族の中で最も強い者に限られる。
仮に護衛役に選ばれようとも油断はできない。
月に一度、家の道場にて行われる一族全員を集めた稽古の場において、下の人間に打ち負かされた場合は即座に交代する仕組みとなっている。
一族中の人間は自分こそが御阿礼の子の護衛に相応しいと思い鍛錬を続けているため、本来であれば毎日護衛役に挑みたいと思っているのだが、それで頻繁に護衛が交代しては御阿礼の子の負担になりかねず、本末転倒となってしまう。
月に一度というのもある種苦肉の策なのだ。
身命は言うに及ばず、私心、私情、信念。御阿礼の子が求めるならば全てを躊躇うことなく差し出し、それこそが至上の喜びであると信じる者たちが集まって形成された一族。
たった一人の人間に文字通り全てを捧げる潔さと、それによって生まれる狂気じみた強さ。
里の人間は畏敬と侮蔑、双方の念を込めて――阿礼狂いの一族と呼んでいた。
信綱はそんな家に生を受け、彼もまた阿礼狂いの血を目覚めさせようとしていた一人だった。
「……ねえ」
「なんでございましょう」
御阿礼の子の姿をチラリと見た帰り道、信綱は女中に手を引かれながら口を開く。
「あの人、綺麗だった」
「……左様でございますか」
「ぼくの家は、そういう家なんだよね」
信綱は聡明な子だった。一を聞いて十を知る。十を知り百を解する。百を解し万を覚える。
元々火継の家は優秀な人材が輩出される家だが、そんな中でも信綱の優秀さは群を抜いていた。ある種異質な領域にあると言っても過言ではないほどに。
「その通りにございます。ですが坊ちゃまはまだ子供。稽古への参加を許されるのは十を数えてからになります」
「危ないからだよね。少しだけ見たことがある」
護衛役は自分の立場を脅かしかねない芽を摘み取ることに躍起になり、そうでないものは自分こそが護衛に選ばれるのだと手段を選ばない。
護衛役に求められるものはあらゆる状況下において御阿礼の子を守り抜くことであり、奇策や奇襲程度もいなせぬようであれば護衛の資格なし。それが決まりだった。
故に稽古は苛烈極まりないものになる。死者が出ることも日常茶飯事とまではいかずとも、頻繁に起こる。その稽古にまだ寺子屋に通う年齢ですらない信綱が行くのは、無謀を通り越して自殺に等しい。
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