少年は目覚めを自覚する
「今は無理。それはわかってる」
周りの人間はどうとでもなるが、現在護衛を務めている父に勝てる図が描けない。さすがにもう少し待つ必要があった。
「帰ってご飯にしよう。たくさん食べて身体を強くしないと」
「ええ。坊ちゃまが大きく健やかに育たれることを私は願っております」
「ありがとう。そう言ってくれるのはトメだけだ」
上記にもあるように、護衛役は自分の立場を脅かしかねない芽を摘み取ろうとする。それは自分の子供であっても例外ではない。
永遠に生きられるわけではないのだから跡継ぎは必要であるが、同時に彼らは一秒でも長く御阿礼の子の側にいたいのだ。
そのため信綱だけでなく、火継の家に生まれる男児はほとんどが親の愛情などというものとは無縁に成長する。
とはいえ、火継の一族は全て例外なく御阿礼の子に魂を奪われるため、親の愛情など無用の長物であるのだが。
母親代わりの人に手を引かれ、家へと帰るその姿は見れば誰もが頬を緩ませる家族のものであり――同時に、雌伏の時を耐え忍ぶ、獣のそれであった。
信綱の年齢が六歳を数えた時、彼は寺子屋に通っていた。
御阿礼の子の側仕えになるのであれば単純な武力だけに留まらず、様々な知識を持っていなければならない。御阿礼の子が求めて来た時、応えられぬとあっては火継の名折れである。
むしろ応えられない当人が己の不甲斐なさを嘆いて自害する。御阿礼の子を至上とする者たちにとって、その願いを叶えることが出来ない自分など塵芥にも劣る存在なのだ。
「ノブー、宿題見せてくれよー」
「そういうのは前日に言え。今からじゃ写したって間に合わないし、慧音先生の頭突きをぼくまでもらう」
さて、火継の一族として信綱も例外じゃない御阿礼の子を至上とする価値観を持っているわけだが、寺子屋では普通に同年代である子供たちの輪に溶け込んでいた。
「だいじょーぶだって、おれ写すのメッチャ早いんだから余裕だって!」
どうやら寺子屋で出された宿題を見せてくれと頼まれているようだ。
火継の家は阿礼狂いである、と言っても子供たちにとってそんなことはあまり関係のないことであり、また信綱も御阿礼の子が絡まない限りは、普通の人間として振る舞うことが出来た。
尤も、仮に御阿礼の子が寺子屋の人間の死を望んだなら、信綱は一片の躊躇いも見せず鏖殺するだろう。
「いいや、無理だ。なぜなら――」
しかし、そんな命令が飛ぶまでは信綱も自身の良心や感性に従って友人を大切にしようという思いぐらいは見せる。例えそれがこの少年の一秒後の残酷な未来を告げるものであっても。
「――慧音先生、もう後ろに来てる」
「えっ――」
信綱の机にかじりついていた少年の顔がサッと絶望に染まる。
反射的な行動で机から身体を離し、逃げ出そうとした少年。その動作の機敏さには信綱も僅かに感心する。よくこの状況下で逃げ出す選択ができるものだという負の方向で。
だが哀れ。少年は首根っこを引っつかまれ、片腕で持ち上げられる。
「やあ勘助。おはよう」
ニッコリと笑う銀髪の美しい女性――彼らの教師である上白沢慧音を見て、皆はこれから勘助少年に振りかかる試練を思い、内心で合掌する。
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