霧に蠢く狂気
それを伝えて信綱は出て行こうとする。
そんな彼の背中に、投げかけられる声があった。
「あ、あの! 的確なご指示、ありがとうございました! 俺、あなたたちのことを誤解していたみたいです!」
「…………」
自警団の年若い班長の言葉を聞いて、周囲の様子を見る。
見る限り、皆の反応は概ね班長と同様のようだ。
身近な存在から死者が出てしまった以上、彼らを率いる人物を求めていたのだろう。
そしてそれがたまたま信綱に当たってしまった。
被害者のことを慮った言動も大きかったかもしれない。少々の出費と口頭での悔恨だけで人々の歓心が買えるなら安いと思って言ってみた結果がこれである。
「……里の人間として当然のことをしたまでだ。私に感謝するより、今は早く作業を終わらせることを優先しろ」
君の誤解は実に正しいものだと告げる義理もない。過度の尊敬は不要だが、侮蔑も無用なのだ。
なので適当にあしらって、信綱は屯所を出て行く。
外に出た信綱を待ち構えていたのは一寸先、とまでは行かないものの、相当に濃い白霧だった。
それを鬱陶しそうに睨み、信綱は軽くため息をつく。
「……本当に、嫌な霧だ」
濃霧が里を覆って一月。状況が徐々に悪化していく中で、信綱は今後のことを考えて歩き始めた。
この霧が里を覆ってから、良いことは一つもない。
老人や子供といった、身体の弱い者たちからバタバタ倒れていく。春だというのに日が差さないため、野菜も育たない。仕事ができなくなる場合もある。
信綱もここ最近は山に入れていない。今は戦闘力が求められているので、仕事に困ってはいないが。
これだけなら偶然ということも考えられる上、霧のせいと言える明確な害があったわけではないため、人々は不安に襲われながらも普段通りの生活を送っていたが――今日で終わりである。
信綱は稗田の邸宅に集まってもらった人々を見回し、まずは頭を下げる。
「多忙の中、ご足労頂き感謝します。火急の用があり、皆様を招集させて頂きました」
「信綱、何があった? お前が自発的にこのような会議を開くのは初めてだろう」
参加者でもある慧音が皆の困惑を代表して問いただしてくる。
信綱、というより火継の家は里の運営にも権力にも興味を示さず、程々の距離を保ってきた。
そんな彼が能動的に動く内容と言えば思い当たるのは一つしかない。
「……何かあったのか」
「ええ。残念ですが、つい先程外に見回りへ出ていた自警団員の遺体が見つかりました」
どよめきが広がる。ここ二十年以上、自警団の者たちが死ぬことはなかったのだ。外の見回りと言っても安全な里の外周を回るだけ。
それにもかかわらず死者が出た。それは今の若い者たちが忘れつつある――妖怪の脅威である可能性が高い。
「私が呼ばれて軽く検分したところ、妖怪のものと判断させてもらいました。今後の里の取るべき動きを議論したく」
「ま、待ってくれ! なぜ妖怪と断定できた! この霧のせいでたまたま獣が近くに来たことを気づかなかった場合もあるだろう?」
慧音の疑問と、それに追随するように集めた人々がうなずく。
信綱は彼女らに対し、僅かに言うべきか否か躊躇う姿を見せてから、重々しく口を開く。
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