騒乱の終結
「なんの用だ」
血糊を払い、信綱は手近な崖に跳び移って口を開く。
下に見える赤黒い血の海は、彼が妖怪を殺していないからこそ見られる光景だ。
本当に死んでいるのなら血も肉も全て塵に還ってしまい、残るのは服や武器だけとなる。
そう考えれば、血だらけの肉塊がうごめいている光景はまだ手心を加えた方なのだ。
文はそれを知ってか知らずか、口を引きつらせているが。
「……ここまで何人斬ってきました?」
「さあな。途中で再生した奴らも斬ってきた。正確な数字は知らんが、二十、三十、ひょっとしたら五十程度だろう」
「程度って……」
行儀よく一対一の戦闘が続いたわけでもないだろう。にも関わらず信綱は返り血一滴浴びず、傷もついていない綺麗な姿のままで、息すら切らしていない。
霧の異変の時とはまるで別人だ。椿は確かに烏天狗の中では腕が立つ方だったが、それにしたって同族をまとめて相手取れるかと言われたら無理がある。
今の彼と戦ったら、自分でさえ危ういかもしれない。文は天魔の言葉が正しいことを実感すると同時、眼前の信綱に対する恐れを深めていく。
僅か四人で鬼を征伐せしめたかつての英雄と、この男はほぼ同種だ。
運命か何かの悪戯としか思えない存在。増長した妖怪を殺し尽くす、蹂躙された人々の願いの具現。
(放置したら間違いなく手が付けられなくなる。天魔様は見抜いておられるのでしょうか……)
下手に野放しにしていると、彼の牙は自分たちに向くかもしれない。それがわかっていて天魔は信綱への協力を決めたのだろうか。
いいや、自分が感じる程度のことを天魔が気づいていないはずがない。飄々としているようでいて、その実誰よりも知慧を張り巡らせる人だ。
自分を遣わせたのだって何かしらの意図があるだろう。それを独断で放り投げるには、この男は危険が多すぎる。
藪をつついて蛇を出すどころではない。藪をつついて鬼が出るようなものだ。
この時、文はようやく天魔の言葉の意味を理解した。
すなわち――自分の言葉が天狗の代表である、ということだ。
迂闊な言動は彼からの敵認定を受けかねない。これを受けるということは、天狗にとって大打撃を受けるに等しい。
すでに烏天狗を数十人、無傷で無力化に成功している。その気になれば殺すことも容易いだろう。文も手傷は負わせられるだろうが、勝てる光景までは描けない。
椿を討った時の彼はまだ厄介な相手というだけの印象だったのに。いつの間にか手が届かない領域に至っている。
人間の成長速度はどれだけ恐ろしいのか。幻想郷が外界と隔離されて以来、初めて文が人間に心からの恐れを抱いた瞬間だった。
「どうした、何か言え」
「あ、ああ! いえいえ、お困りでしたら協力するようにと天魔様から命令されてまして! えっと、御阿礼の子はどこに?」
「……安全な場所だ。とりあえず俺に向かってくる天狗を斬っていたらお前が来た」
「あやや、そうでしたか。とにかく合流できて何よりです」
「…………そうだな」
信綱の文を見る目は鋭く、冷たい。変な素振りを僅かでも見せたら、その時が文の最期になるのがありありと読み取れた。
限りなく黒に近い灰色という認識なのだろう。こちらが対話の姿勢を示しているから攻撃はしないだけで、文は実に危うい綱渡りを強いられているのがわかった。
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