ハーメルン
阿礼狂いに生まれた少年のお話
或る烏天狗と白狼天狗

 現在、阿七は転生の準備を進める期間に入っている。
 詳しい内容は火継の家にも知らされておらず、また側仕えをしている信綱も知らないことなのだが、長い時間をかけて行う必要のある儀式ということだけは確かだった。

 御阿礼の子はただでさえ三十歳生きられないと言われるほど寿命が短いというのに、その中から数年以上を転生への準備に捻出しなければならない。
 いかに記憶をある程度引き継ぐと言われていても、幼少の頃から幻想郷縁起も編纂しなければならないのだ。彼女らにとって、本当に自由と呼べる期間はどれほどあるのか。

 火継の家はそんな彼女らを支えるべく身命を捧げ、光に影に、御阿礼の子が幸福な一生を過ごせるよう全力を尽くす一族なのだ。
 だからこそ体調管理などもしっかり行い、万に一つもあってはいけない。

「さて……こんなものか」

 滋養強壮の食物、また阿七に飲ませる薬湯の材料。どちらも妖怪の山付近で手に入るものは全て信綱が手に入れる役目となっていた。
 転生の準備がそろそろ終わる頃になって来て、阿七の容態が悪化し始めたのだ。
 これまでは猟師が時折取ってくるものでよかったのだが、今では定期的に信綱が山奥に踏み入って採取する必要があった。

 それ自体に言うべきことはない。妖怪の山にほど近い場所であって、熟練の猟師であろうと妖怪に出くわせば死あるのみな場所に行くことになっても、信綱の心に恐怖はなかった。
 むしろ喜びの方が大きい。自分の行いがハッキリと彼女のためになっていると実感できることなのだ。
 そうして集めた薬草を懐の小さな麻袋に入れ、立ち上がる。

 妖怪の山に踏み入るほどではないが、それでも人間の領域からはそれなりに離れた場所。人の手が入った様子は自分以外に存在せず、生い茂る木々が陽光を遮り薄暗い空間が形成されている。
 植物に優しく、人間には不快な湿気が信綱の肌にまとわりつく。

「――見られてる」

 いつものことだった。護衛を任され始めたばかりの頃、山に踏み入って天狗に追いかけられたことがある。
 あれ以来、山に入ると決まってどこからか視線を感じ取る。視線を感じる瞬間は山に入ってすぐだったり、ある程度奥に進んでからであったりと、規則性がない。

 方角も大体わかるため木陰に身を隠して動いたりしても、自分にまとわりつく視線は引き剥がせない。
 目だけが自分を正確に追尾してくる。そんな奇妙な感覚を受けながらも、信綱は役目を果たして帰途につく。

 最初は普通に歩き――すぐに走り出し、いつしか木そのものを足場に使っての高速機動になっていた。
 地を蹴り、眼前に迫る木に手を添えて滑るように側面に足を当て、斜めに推力を得て更に加速していくのを繰り返す。
 幼年の頃のまともな肉体がなかった頃に比べ、格段の進歩と言えた。あの頃ですら身体能力は人里の中で頂点を争えるほどだったのだ。
 今ならば――自分の背中を追いかけてきている存在と少しは張り合えるかもしれない。

「は、はははははっ! すごいすごい! 何度も見てるけど、キミ本当に人間? 人里に混ざってる妖怪とかじゃないの!?」
「――うるさいな。喉をかっさばいただけじゃ足りないのか」

 あの日、信綱をさらってしまおうとした天狗――椿とは遺憾ながら長い付き合いになってしまっていた。

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