或る烏天狗と白狼天狗
隙あらばさらおうとするのは今でも変わらない上、山に入って視線を感じた時はちょくちょくやってくるので邪魔なことこの上ない。
出来るなら殺してしまいたいのは山々だが、椿はこちらをよく見ているのか踏み込んで届くギリギリの場所を見極めて距離を保っている。
こちらも日々精進して射程は伸びているのに、正確にそれを読み取ってくる。ひょっとしたら家族以上に信綱の戦闘力を理解しているかもしれないと思うほどだった。
「治るけど痛いから勘弁。それでさぁ、私のところに来る決心ついた? 三食昼寝付きだよー? 死ぬまで面倒見るよー?」
こちらに並走して馴れ馴れしく話しかけてくるのが心底鬱陶しい。
舌打ちと同時、信綱の腕が霞んで椿のいた場所を薙ぎ払う。
その手には小太刀が握られており、抜き手を見せない速さで振り抜かれたのだと、椿は認識する。
「やっぱキミは面白いよ! 天狗の私でギリギリ目に見える速度の一撃なんて、普通の人間はできないよ?」
なぜそんないい笑顔で付きまとってくるのか。信綱には理解に苦しむ存在だった。
「知るか、さっさと山に帰れ。ここはもう人里にほど近い場所だぞ」
「おっとと、今日は知り合いを紹介しに来たんだ。ここで逃したらダメだから――椛!」
視線を前に向ける。するとそこには白い装束に身を包み、犬のような耳をした天狗が木陰から現れていた。
手に持っているのは脇差しより遥かに大きい大太刀と、攻撃を受け流すための盾。
「こんにちは、人間」
「白狼天狗……!」
足は止めない。椿一人でも持て余すのだ。ここにもう一人追加されたら為す術がない。
決死の抵抗をして相討ちが関の山。ならば――最初の一手で数を減らしてしまうのが定石。
椿への注意は完全に切る。自分の抵抗など、彼女の遊びの上に成立しているものだ。彼女が本気になった時点で警戒など無意味になる。ならば不要。
必要なのは最速の一刺し。天狗の反応を超えた突きを目の前の白狼天狗にぶち込む。
自分含めた動きの全てが緩慢さを増していく。木々の葉擦れ、空気の流れ、蹴られた衝撃で爆ぜる土。そして驚愕に顔を歪めようとしている白狼天狗。
盾を持つ左手がのろのろと持ち上げられる。顔をかばうか、心の臓を守るか、二つに一つ。
信綱の狙いは顔のその奥にある脳。顔をかばわれるのは些か不味く――白狼天狗は賭けに勝った。
(このっ……!!)
歯を食いしばり、内心で舌打ちを一つ。なんということだ、これでは――
盾ごと貫く手間が増えるではないか。
突き出した小太刀は防御に使われた盾の一点に刺さり、そこから裂くように断ち割る。
盾の向こう側にいた白狼天狗の女に、その小太刀が突き刺さろうとして――
「あ、ぶないっ!!」
「っ!」
刃そのものが白狼天狗に掴み取られる。握った手から赤い血が零れるが、柔らかい眼球から脳天へ刃が突き抜けることはない。
いくら技芸に優れており、防御に用いた盾を一突きで断ち割ろうとする才覚の持ち主であっても――純粋な膂力勝負に持ち込まれれば妖怪に軍配が上がる。
「く、そ……っ!」
小太刀から手を離す。そして着地と同時に右手を貫手の形に変えて――捕まった。
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