ハーメルン
阿礼狂いに生まれた少年のお話
願いの結実とそれぞれの始まり

 ふむ、と信綱は人妖の交流のために設けられた区画――そのまんまに交流区画と名付けられた一帯を歩いて回っていた。
 天狗の側でも騒動の際に大暴れした記憶が新しいのか、ジロジロと見られてしまう。
 見られることに興奮を覚える性格でもないので心苦しいのだが、この場では見られることが半分仕事のようなものだった。

 表情に出さないようにそっと息を吐く。阿弥が隣にいればこの仕事も至福のひと時に早変わりするのだが、彼女は今日はいない。
 なにせ交流は始まったばかり。どんな問題が起こるかわかったものではない。成功か失敗かもわからない試みに連れて行って危険な目に遭ったなどとしたら目も当てられない。

 だから慧音に見回りを頼んでおいたのだ。歴史書の編纂も行う彼女ならば今日の出来事も克明に記録してくれることだろう。後でそれを見れば実際に見ることには及ばずとも、それなりに詳しい資料が揃うはずだ。
 ……無論、民に安心感を与えることができるという理由もある。信綱の中での二つの比率は知らない方が幸せである。

 巫女と紫はどこにいるかわからない。だが彼女らのことだからどこかで見ているはず。いつ何が起きても不思議ではない空間を見逃すとは思えない。

 今のところは祭りのように浮足立った気配が漂っていた。人間は人間で、妖怪は妖怪で固まっており、どちらかが一歩を踏み出さなければこの微妙なこう着状態は続くと読み取れる。
 つまり、この状況に求められているのはある種空気を読まない力であり――

「あ、ねえねえ! あそこのお団子美味しそう! この橙さまに買ってあげても良いのよ!」
「さっき焼き菓子食ってただろうが」
「甘いものは別腹よ!」
「さっきのやつも甘かったと思うぞ。店主、二つくれ」
「へい毎度!」

 周りの視線に全く頓着しない妖猫が、今は信綱の手を引いていた。



 実のところ、彼女とはかなり早い段階で合流ができていたのだ。
 この催しが始まり、信綱と天魔が軽い挨拶をしてすぐに交流は始まった。
 最も往来が激しいことになると予測された場所では、勘助率いる霧雨商店が声を張り上げて客の呼び込みをすぐに始めていた。
 その場所では人妖関わらず上手く回っていたため、あまり心配することなくその場を後にすることができた。忙しそうに人里の酒や加工食品を売る勘助の邪魔はできない。

 が、あくまでそれは一角。全体で見ればまだまだ上手く行っているとは言いがたい。
 そんな時だった。橙が信綱の方にまっすぐ向かってきたのは。

「やっほー人間! 凄いわね、私が普通に歩いていても何も言われないなんて!」
「来たか。お前の主人はどうした?」
「藍さまは紫さまと一緒。お小遣いももらったのよ! なければ適当に妖術でごまかし――アイタタタ!!」
「この状況で、それをやったら、本当に見逃せないんだよ」

 橙の耳を強めに引っ張って、痛い痛いと喚く橙の耳元で一言一句を噛み含めるようにして告げる。
 何がどこで爆発するか全くわからないのだ。下手に火種を増やすような真似はしたくない。
 それに下手に人間を騙すことを覚えてはロクな妖怪にならない。
 妖怪の時点で将来のロクデナシが約束されているようなものだが、それでも橙にはまっとうに育って欲しい。でないと友人を手にかけるハメになる。

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