幻想郷縁起
幻想郷縁起――端的に言ってしまうなら、幻想郷における妖怪図鑑のようなものである。
但し幻想郷では妖怪に出くわすことはそう珍しいことではない。なので名前だけ知っていては何も出来ないのだ。
そこで各妖怪への対処法などを調べ、載せる。その上で被害が出た際に頼るべき人間――英雄も載せる。そうして作られる書物なのである。
尤も、大半の英雄は博麗の巫女に固定されており、英雄の欄はほとんど当代の博麗の巫女に関することだけなのだが。閑話休題。
さておき、この幻想郷縁起の編纂こそが御阿礼の子に課せられた使命であり、その半生を賭して作られるものとなる。
そうして完成した幻想郷縁起はスキマ妖怪の手によって検閲させられ、あまりに人妖の均衡を崩しかねないものなどを改めて編集される。
言うなれば御阿礼の子が執筆。スキマ妖怪が編集といった形で作られる本なのだ。
必然、御阿礼の子が書き上げた幻想郷縁起はスキマ妖怪が確認する必要があるわけで――
「ノブ君、本当に大丈夫? 私もついていった方がいいんじゃあ……」
持っていくのは側仕えである信綱の役目なのだが、阿七は心配ばかりしているのが現状だった。
幻想郷縁起を懐にしまい、出立の準備を整えていると阿七が不安そうな顔で玄関まで来て見送りに来ていた。
その気持ちは嬉しかったのだが、体調の悪化しつつある現状、床からなるべく出ないで欲しいというのも本音であり、信綱としては複雑な心境だった。
仕え始めて七年。寺子屋も卒業し、阿七と背丈も並び始め、小太刀から脇差に持ち替えて見栄えも相応にするようになったというのに、子供扱いは今でも変わらない。
「いや、阿七様を山に連れて行くわけにはいきませんよ。危険過ぎます」
「ノブ君はいいの?」
「私はそれが役目です。大丈夫ですよ。傷一つ負わないで帰ってきますから」
むん、と力こぶを作る仕草をする。まだまだ子供らしい細い腕だが、そこに詰まっている力は大の大人を軽々と凌ぐ。
ついぞその力を阿七の前で披露することはなかったが、それで良いのだろう。主の危険を振り払うのが役目だが、危険などないに越したことはないのだ。
が、それゆえに阿七の信綱への印象は出会った頃と変わらず、弟みたいな存在のままなのだろう。そこはもう仕方がない。
「じゃあ……気をつけてね? 危ないと思ったら帰ってきて良いから、無理だけはしないでね。私は幻想郷縁起よりも君の方が大切だから」
「過分なお言葉、ありがとうございます。ですが、あなた方御阿礼の子が代々受け継がれてきた縁起の編纂も大切にしてください」
「……良いのよ。幻想郷縁起が必要とされる時代はもうすぐ終わるわ。だってほら、最近は妖怪の被害なんかもほとんど聞かないでしょう?」
側仕えを始めた頃から、少々青白さを増した阿七の頬がゆるやかに笑みの形を作る。
自分の役目が必要とされなくなりつつある悲哀と、人里が平和になっていく喜び。双方が等分に混ざった笑みだった。
「……それでも、私にとって幻想郷縁起は世界で一番大切な人が、一番時間をかけて書き上げた大切な本です。粗雑に扱うような真似はいたしません」
「ありがとう。そう言ってくれる人が一人でもいると、私も嬉しいわ」
ふわりと信綱の身体が阿七の華奢な腕に絡め取られる。
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