阿礼狂いと人と妖怪と
「……だけど御阿礼の子、だったか。その人のためならお前はやるんだよな」
「ああ。躊躇わない――いや、喜んでやる」
例えそれが肉親の臓物を引きずり出すことであっても。隣を歩く親友の心臓をえぐることであろうと、それが命じられたのならば、かつてない幸福感に包まれながら実行するだろう。
信綱の異常性を見て理解したのか、勘助の顔が引きつる。しかし、それも一瞬ですぐに普段通りの顔に戻る。
「わかった。それでいい」
「……何を言っている、勘助?」
「そんな時が来るなら、それでいいって言ったんだ。同じ里の人間を殺すように命じるのが稗田の家なら、多分この里は長くない」
「…………」
返答はない。だが、それが何よりも雄弁な返答になっていた。
「俺も考えたんだよ。もしもお前と伽耶、どっちか一人しか選べないって時が来たらどうしようかって」
「……伽耶と同列ぐらいには思ってもらえていたのか」
「茶化すなよ。小さい頃から一緒なんだし当たり前だろ。……俺は、伽耶を選ぶ」
「そうか。その方が健全だ」
ついでに言えば自分のような男と関わらない方がもっと健全なのだが、勘助はもう覚悟を決めているのだろう。ここまで言われて気づかないほど鈍感ではない。
「だけど、そうならないうちは両方とも大切な友達だ。……だからお前も、俺を切り捨てなきゃならない時まで、友達でいてくれないか」
「…………」
信綱は眉を寄せ、無言になる。顔にこそ出さないが、戸惑っていた。
そんな信綱に畳み掛けるように勘助が言葉を続ける。
「お前と縁を切ることも正直考えた。それが多分、一番楽な道だとも思った。だけど違うんだよ! 何が違うのかは上手く説明できないけど、あんな終わり方で終わっていいはずないんだよ!」
「……縁をつなぎ止める努力も重要、か」
ずいぶんと昔に慧音から聞いた言葉が思い返された。一度繋いだ縁は簡単に切れるものではないが、つなぎ止める努力は欠かしてはならないと。
恐らく、世間一般で言われている基準は信綱には当てはまらない。彼にとって他者との縁は御阿礼の子が絡めば儚く断ち切られるものだ。
「……そうだな。阿礼狂いと呼ばれている男で、いつかお前を手ひどく裏切るかもしれない俺で良ければ、お前の友達を続けさせてくれ」
だが、それでも。それでも、その時が来るまでこの縁を大切にしたいと思ってしまったのだ。
自分のような気狂いを友と呼んでくれるこの青年に、応えられる限りで応えたいと思ったのだ。
「お……おう! よっし、こうなりゃ伽耶も呼んでくる! 前みたいにとは行かなくてもさ、三人揃えばきっと楽しいって!」
勘助は喜色満面の笑みを浮かべ、勢い良く信綱の背を叩く。
その喜びようを見て、信綱も寺子屋の頃を思い出して微かに笑みを浮かべるのであった。
「……そうだな。きっと、楽しいことだ」
「ああ! へへっ、今日は呑むぞぉ!」
二人の若者が笑いながら歩く姿に、皆が恐れるような阿礼狂いの姿はこの一時のみ、存在しなかった。
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