ハーメルン
阿礼狂いに生まれた少年のお話
残酷な約束


 静かに阿七の手が信綱の頬から離れていく。その手を握りたい衝動に駆られながらも、手は動かない。
 手が床に降りる前に信綱がその手を取り、阿七の胸に添える。動く気配は――ない。







 もう、この人が目覚めることはないのだ。







 信綱は動かなくなった阿七の頭を膝に乗せて、静かに空を見上げる。
 その目からは止めどない涙が流れていたが、阿七が濡れないように袖で端から拭っていく。

「あなたが願うなら、いつまでも……っ! こうしていますから……っ!!」

 唇を噛みしめ、嗚咽が零れるのを防ぐ。阿七が眠れないから。

「だから、どうか……どうか……っ! 心安らかに、お休みください……っ!!」

 五体がバラバラに引き裂かれるような悲しみだ。
 阿七はこれをもう一度味わう可能性のある未来に、信綱が向かうようお願いした。
 自害して彼女の後を追いかけられるならどんなに幸福か。しかし、残酷なことに彼女はそれを願っていない。

 ならば生きよう。再び会うであろう御阿礼の子に、成長した自分を見せてやらねばならない。
 それこそ、阿七の罪悪感が吹き飛んでしまうほどに。

 強くなる。今度こそあの人を安心させられる自分になるために。

 ああ、これはそのためには不要なものであり、無駄でしかないことぐらいわかっている。
 すでに膝の上の肉体に魂はなく、目を開くことも永劫に訪れない。

 だけど今だけは。今だけは彼女の死に涙を流す弱さを認めて欲しい。
 声を殺して、涙を拭って、身体の震えも押さえ込んで、信綱は静かに泣き続けていた。










「ん、来たか。どうだった、人生は?」
「素晴らしいものでした。これまで家族とは縁がありませんでしたが、ようやく家族ができたんです」
「そいつは良かった。ささ、乗った乗った。閻魔様のところに案内するよ」
「はい。行きましょうか」
「そんじゃ出発! っとその前に」
「? 何かありましたか?」
「仕事の決まり文句みたいなもんさ。言わなきゃ仕事をした気がしない。
 ――お前さん、幸せだったかい?」
「――ええ、もちろん」

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