ハーメルン
真剣で恋について語りなさい
番外編:せんのらんしん



 あれから、千は三日もオナニーしていなかった。

 初日は倦怠感と虚脱感から学校へ行く気が起きずにサボタージュ、飯を食べる気も起きず飲まず食わずで一日を終えた。人に会う気力もなく、心配して家に来た百代を帰るよう促したが、強引に入ってこようとしたため力づくで追い払った。
 二日目は登校こそしたが終始憮然としており、シリアスブレイカーとして定評がある井上準と榊原小雪の漫才コンビが話しかけても、心ここにあらずな反応しか返さなかった。小雪は「全然ウケないよー! 準のバカ、解散してやるー!」と泣き喚いた。一人だけ事情を知るあずみは気まずそうな顔をしていた。葵冬馬も空気を読んで口説かなかったが、空気を読まずにちょっかいを出した心はデコピンで返り討ちにあった。
 三日目になると、放っておけば治るだろうと楽観視していた風間ファミリーも心配し始めたが、傷心を引きずった千の心はまだ修復できていなかった。神童の誉れ高き千にとって、人生で挫折と呼べる経験は武道に於いて百代に絶対に届かない事を悟ったただ一度のみであり、此度の失恋はそれに並ぶ自信の喪失だった。

 千は並ぶ者のない輝かしい才能と美貌をもって生まれたが、精神は生まれの身の丈にあった程度の凡庸で世俗的な、自身の才というピカピカの豪奢なドレスを着飾っては見せびらかして誇ることで根付いた、成金で貧乏性な一面が根底にあった。恵まれた家庭と注がれた身内のありったけの愛で育まれた純真な精神は、千の才能を食い物にしようとする連中によって途中で折られてしまったけれど、その後川神院で培われた才能を土台にした歪な心が、千を支えていたのである。
 だが、拾われた先に百代という武における絶対的な頂点が常に目の上のたん瘤としてあったことは、どのような分野でも天狗になれる素質をもった千に、努力ではどうにもならない壁と捻くれた価値観と奇妙なコンプレックスを意識させた。
 歳も近く、仲も良く、共に圧巻の才能に恵まれた二人だが、彼らの強さについて行ける者は誰もいなかった。二人の違い――百代にとっての幸運と千の不幸は、いつも後ろを振り返れば百代のすぐ後ろには千がいたけれども、千の後ろには遥か遠くに雑多な影がたくさん並んでいるだけだったことだ。
 
 努力すれば遥か高みの存在になれる。だけど頂点には決してなれない。
 孤独ではない。だけど理解者はいない。人に自慢できる、でも誇ることはできない。
 いつも上には百代がいて、見上げるのに疲れたとき、ふと下を見るとどう頑張っても届かない人の群れが二人に近づこうと必死に手を伸ばしていた。
 この環境が、千に才能を笠に着て他者を見下す悪癖と、絶対的な存在への劣等感、それによって生じる卑屈な感情を養うことになった。
 もし、鉄心やルーがそれに気づいて息抜きに武道以外の物事を教え、見聞を広めていれば、千は他の分野で自信を身に着け、武道でのコンプレックスを意識することなく成長できただろう。
しかし、鉄心とルーもまた武道一辺倒に生きた人間であったこと、千に他の道を歩ませるのは武道に携わる者としてあまりに口惜しいほど才に恵まれていたこと、百代の孤独を癒やせる唯一の同年代であったことが、千を縛り続けた。
 この経緯が、百代にとって武道は誇りであったが、千にとってはそうでもなく、百代にとっての千は唯一だが、千にとっての百代は相対的に大切なもののひとつという相違を生む原因となった。

 千は何でもできるが、自ら進んで行動することは稀だった。

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