ハーメルン
強くないのにニューゲーム
花言葉は家族愛

 大勢の人々に手が届く存在となったアミュスフィア、そして本格的にサービスを開始した初のVRMMOたるALOは当初から猛烈な人気を博していた。事件が一例あったにも関わらず、仮想空間の提供する経験はやはり、人々の興味関心を駆り立てて余りある甘美さを持っていたのだ。

 アーガスの防壁を抜けるハッカーが存在しているという脅威を知った人々は、それに対抗するために茅場晶彦を守護神として求めた。彼が直々に「今後はあのような事故が起こらないよう邁進する」というコメントを出したことも相まって、英雄的立場は出来過ぎな程に固められた。

 だが如何に熱狂が世間を賑わしたとしても、全員が仮想空間への参加を選択した訳ではない。特にSAO事件の経験者には仮想空間そのものに拒否感を覚える者もおり、皆が少なからず複雑な心境を抱えていたのである。

 黒の剣士と呼ばれたキリト────桐ヶ谷和人もまた、その一人だった。





 冬の早朝、寒さに震えが止まらないような時刻に起き出した和人。以前なら絶対に起床しないような時間に目が覚める理由は、妹と朝の稽古をするためだった。

「おはよう、スグ」
「お兄ちゃん、おはよう! 寝癖すごいよ?」
「げっ、マジか……急いで直してくる」

 廊下で鉢合わせた妹、直葉はすでにジャージを着込み準備万端。待ってるから、という声に背を押されて洗面所へ、ささっと顔を洗い支度を整えたら庭先に。

 相変わらず鬼のように厳しい寒さに撤退したくなるが、そこは直葉の期待に足を止める。そもそも朝の練習に付き合いたいと言ったのは和人の方なので投げ出したければ投げ出せばいいのだが、その辺りは兄の意地というものがあった。

「準備運動を終えたらいつも通り軽く、だよな」

 既に素振りを始めている直葉を眺め、相変わらずピシリと止まる剣先に感心する。筋力値があれば自在に剣を操れた仮想世界とは違い、竹刀を自由に扱うには筋力と慣れが求められる。頭の中に強固なイメージはあっても再現は難しく、そんなことを知ったのはこうして一緒に練習をするようになってからだ……かつて投げ出して祖父に殴られた子供時代ではない。

 構え、振り上げ、振り下ろし、止め、それらの繰り返し。十、二十と回数を重ねていく素振りは堂の入った妹の姿とも、SAOにおける己の剣筋とも似つかない。そうして苦笑する、まただ、と。

 こうして何かしているときでもふとSAOを思い出してしまい……和人は気持ちが少し沈む。

 あの世界の全てが喜びであった訳ではない。仮想世界はまさしくもう一つの現実であって、人の善意も悪意も等しく存在していた……いや、悪意の方が多かったのではないかとすら感じる程に。

 (ねた)(そね)みや恨み辛みは隠されないまま表情に出る。裁く法や国がないというだけで悪意を行動に移す者も多かった。プレイヤーの善意と道徳心に期待せざるを得ない厳しい現実がそこにあった。

 PK、プレイヤーキラーとの戦いは文字通り命を賭けたものとなった。数で囲み黒鉄宮に送れば済むという事前の目論見を嘲笑うかのように、彼らは死を覚悟して迫ってきた。HPを全損すれば死ぬのだと互いが理解している戦場で、殺さずに済ませる余裕などありはせず、死の恐怖に背を押されて斬り付けた重い選択。

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