第九話 決闘と真名
――時は戻り、琢郡の街。
「縄を解け」
楼班は渦巻く嵐の中心で溢れ出る殺気を懸命にこらえながら口にした。
だが平静さを装うとしたために声は音の低きを流れ、その殺意と怒りをいや増して余人に伝えた。
「公孫賛……我が名は楼班。その者は私の母様を殺した……張純の身柄をよこせ……縛られたまま撫で殺すことはしない……武器を持て……武器を持って向かって来い……!」
公孫賛は立ち上がると進みでた。見れば李岳は跪き平伏している。
「成り行き上とはいえ楼班殿の安否を伏せましたこと、お許し下さい。真実を申しますと、楼班殿は襲撃から逃れご覧の通り御無事でした。が……御母堂が身代わりとなられ凶刃のため、御命を……」
再び風が巻き起こり、楼班の青い髪が逆立ち熱波を吹いた。公孫賛も初めて会うのだが彼女の姿は伝え聞く烏桓の王族の姿そのままであった。
(……ご息女は無事だったが、単于の妻君が死んでいるのか……)
楼班についての情報、話を上手く進めるためにあえて誤魔化したのだろうと思うと怒りはわかなかったが、それよりも公孫賛は困惑で狼狽しかけていた。
怒りに燃える楼班の前で縛り上げられたまま恐怖に震えている張純――自白した通り憎しみをもって烏桓を迫害し、しかもそれを自らの責任ではなく公孫軍に扮し狼藉を働いたことになる、それに対して公孫賛は容赦するつもりはない。さらには叛乱を誘発しかねない愚挙、烏桓族の長である単于の娘、楼班を害しようとした。それには失敗したようだが楼班の母を殺したということ……容赦の余地はないだろう。
楼班は張純を解き放ち武器を渡せと――つまり決闘を望んでいる。武人として生きてきた公孫賛にはその気持ちが痛いほど理解でき、気持ちとしても同情している。だが果たしてそれを許可して良いのか、今の公孫賛は一人の武人ではなく郡の太守として判断しなくてはならず、板挟みの中で決心が付かない。
跪いたままの李岳が膝立ちで一歩進み出て、顔を伏せたまま言上した。
「恐れながら、誇り高き烏桓族を一方的に害し、その誇りの結晶たる単于の姫をかどわかそうとした罪はあまりに大きく、それに飽きたらず楼班殿の母親、つまり単于の妻君を殺害した浅はかさに弁護の余地はありません」
「わ、私は指示してない、わ、私じゃない」
張純の喚き声に李岳は一顧だにせずに言葉を続けた。
「烏桓族のしきたりに、女系への攻撃は徹底的な報復をもってこれを贖うというものがあります。それが単于のご家族ともなれば一族全てを挙げた猛烈なものとなるでしょう……楼班殿は御母堂の仇をその手で討つことができれば決して戦火を広げるつもりはないとおっしゃっております」
「……まことか?」
公孫賛の問いに答えたのは岳ではなく楼班だった。
「うむ。我が烏桓の誇りにかけて誓おう」
公孫賛の目には楼班が嘘を言っているようには思えなかった。ひとたび誓えば決して違えぬという証のごとき黒い瞳――烏丸の瞳――が公孫賛に決断を迫っている。
このままでは烏桓族の叛乱は不可避だ、楼班の申し出は大きな譲歩といえるだろう。実行犯との決闘をするだけでそれを済ませるというのだ、破格と言えた。しかも見た目から齢は十五を超えないような少女が単身現れ母親の仇を討とうとするその心意気は、民族や血統を問わず高潔で瑕疵などない。
感極まったように趙雲が立ち上がると――見事! と声を挙げた。
「仇討ちの覚悟あっ晴れ! 伯珪殿、ここは決闘を許可するべきでしょう」
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