第004話 荀家逗留編③
北郷一刀の腕っぷしについてである。
幼少の頃より祖父に剣道の手ほどきを受けた一刀は、地元では剣道少年として知られていた。とは言うものの突出した才能があった訳ではない。その腕はかけた時間相応で、天性の輝きはないものの実直な剣を持つ努力家というのが一刀の評価だった。
だがその評価が活きるのも、この世界に来るまでの話だ。あくまでスポーツである剣道と、有事の際には相手を殺すことまで前提となる剣術では、根本の心構えからして大きく異なっており、さらに言えばその資本となる体力についても要求の度合がまるで違った。
試合でガス欠になっても精々黒星がつく程度であるが、有事の際にガス欠になることは自身だけでなく仲間や雇用主の危険を意味する。荀家に限らず、剣を持って戦う職業の人間に体力がないなんてことはあってはならぬことであり、持久力のある身体を作ることは仕事の大前提だった。
故に訓練と言えども、武装して行うのが常である。それはド新人であろうと客分であろうと変わらない。ド素人でかつ客分だった一刀はまず具足を付けることにも苦労したが、護衛部隊の人間は誰も手を貸さなかった。
珍妙な付け方をして不格好になったド新人を笑うのが、彼らの通過儀礼であるからだ。
何とか一人で具足を付け終えた一刀を全員で大笑いした後、さて仕事だと言わんばかりに懇切丁寧につけ方を指導していく。道具というのは正しく使ってこそ十全な機能を発揮するもので、具足の付け方一つでも、緩みがあってはいけないのである。
さて、具足をつけての訓練のその一日目。護衛部隊の面々と同じメニューをこなした一刀は、訓練が終了すると同時にぶっ倒れた。決してひ弱な方ではないはずの一刀だが、慣れない具足を着用しての訓練であること。そも一緒に訓練をしているのは体力が資本である本職の護衛要員であることが災いした。
彼ら彼女らにすれば新人がぶっ倒れるなどいつものことである。あぁ新人が倒れてるなぁと笑いながら井戸の水をぶっかけて元気づけたりもしたのだが、これに激怒したのが荀彧だ。その日はたまたま訓練の後に講義を入れていたのだが、体力の尽きた一刀はまともに勉強のできる状態ではなかったのだ。
ふらふらした様子の一刀に、それでも容赦のない罵倒を浴びせる荀彧は鬼気迫る程だったが、歯牙にもかけないような相手であればそも声もかけない。婿殿であるという噂は街の中からすら払拭されつつあったが、その見込みのある男性であるという認識は、荀彧を知る人間に共通のものだった。
普通であれば一生立ち直れないような罵倒であるが、足腰が立たないような状態であっても一刀は一々頷いて聞いている。この時点で普通の精神性ではない。荀彧と番になるような男性はどういう人間なのだろうと、彼女を知る人間であれば一度は考えるものだが、その二人のやり取りは彼らを非常に満足させるものだった。
そして荀彧からの物言いによって、その翌日から講義がある日は講義を先にするというスケジュールの変更が一刀の知らないところで決められた。
一刀が訓練をしている間、現状、彼に講義をすることが唯一の仕事である荀彧は自分の時間を持てる訳だが、その時間を荀彧は当たり前のように講義の準備に費やした。一刀に教えるレベルの話で今さら荀彧が学ぶことなどない。片手間にでも教えられるようなことばかりだったが、やると決めた以上誰が相手でも手を抜かないのが荀彧である。
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