ハーメルン
提督はただ一度唱和する
9.大いなる誤算

 深海棲艦出現以前の日本は、様々なものを輸入に頼っていた。資源なく、狭隘で峻険な国土。毎年のように起こる災害。深く考えると、異常な国家ではある。
 資源については、頭は痛いが辻褄は合わせられた。最も消費すべき、深海棲艦との戦争が、鉄量を競うものではなく、死体を積み上げる類のものだったからだ。
 問題なのは食糧生産だ。畜産はまだしも、農産物の大量生産技術というのは、当時まだその端緒を掴んだ程度だった。個人経営の農家が圧倒的で、むしろ少数生産、高品質を謳う経営者が多かった。諸外国に生産量で勝負出来るはずがないからだ。
 北海道はある意味、その例外と言ってよかった。大量消費が前提の作物を多く取り扱い、広大な農地を存分に活用していた。九州、四国の復興もままならない現状で、その依存の度合いは無視できない水準だ。
 だから、釧路はもちろんのこと、根室、網走を含む農地の失陥と、農産物への被害は痛手だ。長期的には、人的被害も今後の日本を苦しめるだろう。秋蒔きは諦めるにしても、春蒔きの小麦は何としても確保したい。だが、生産を担う農家が、今後も北海道に留まってくれるのか。軍や政府は、彼らを十分支援出来るのか。
 北海道の早期奪還は、今後の戦争遂行に必須であった。
 しかし、混乱から立ち直り、準備を進めるには時間が必要なのも事実だ。


                     §


 一人になった事務所は静かだった。戦場の様相が戦国時代に戻っても、後方がそれに付き合う道理はない。新城が軍に入った当時から比べても、かなり簡便になったが、それでも官僚組織として、軍は健全性を保っている。演習、休暇、補給、報告。
 何か行動を起こすたびに、書類というものはついて回る。新城は優秀な士官であり、だからこそ任せられる仕事も多かった。押し付けられたとも言う。
 叩き上げを除き、士官というものは志願者によって構成される。建前に過ぎないと言われればそれまでだが、訓練を施せば取りあえず使える兵と違って、教育を必要とする士官にはそれなりに条件がつけられる。
 深海棲艦との戦争では、その辺りの手間は激減したが、それが質の低下を促しているのも事実だった。徴兵ではあるが、提督という余りにも羨ましい待遇の者たちがいる影響も大きい。安定化に従って、陸軍の士気の低下は問題視されていた。北海道という狭い範囲で、対応にバラツキが出たのも、必然の出来事だったかもしれない。
 いささか以上に過激な部分があるとはいえ、新城はその点真面目で、隙がなかった。他人から自分がどのように思われるか知悉している新城にとって、必要不可欠な技術でもある。
 それが余計に事態をややこしくしているのだとしても、新城は気にしなかった。軍での栄達が、貧乏籤の押しつけ合いと達観していたからだ。やり過ぎた相手への報復についても、新城は詳しかった。概ね、軍での生活に新城は満足していた。
 だから、新城にとって彼のような存在の方が戸惑うのだ。
「コーヒーでも飲みませんか?」
 誰もいないと思っていた事務所に、不意に声がかった。新城は書類から顔を上げずに、一呼吸置いた。目だけで睨む。
「西田か」
 締まりのない顔で笑う若者には、新城にない愛嬌があった。マグカップを二つ掲げて、新城の返事を待っている。新城は無言でたっぷり彼をいじめてから、体を起こした。この裏切り者めと、思っている。奇特なことに、新城に懐く数少ない士官の一人だった。士官学校時代の後輩で、多少面倒を見た覚えはある。同じ部隊に配属されるなり、新城の置かれた状況を見ても怯むことがなかった。今のところ上手くやっているため、新城も放置している。

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