5 小学校四年 鹿児島にて
霧島神境。
鹿児島で最も大きな神社を含む一帯の通称である。正式な地名ではないが、地元の人間は元より、多くの人間が通称の方でその場所を呼んでいる。
京太郎もその一人だった。長い石段を登り、咏に渡された彼女の祖母が書いた紹介状を受付の巫女に見せると、京太郎は神社奥のエリアに通された。巫女に先導されながら歩くこと十分。何故かどういう場所を歩いたのか全く記憶に残っていないが、気付いたら広い和室に京太郎は正座していた。
ここで、人を待つように言われたのである。ここまで案内してくれた巫女が淹れてくれたお茶は、何だか美味しい。
「若菜さんからの紹介というからどのような方かと思えば、こんなに可愛らしいお客様とは……」
部屋に現れたのは老齢の巫女だった。長い黒髪を頭頂部で結ったその髪型は京太郎の記憶が確かならば『ポニーテール』と言ったはずだが、この女性を前に横文字を当てはめるのは何か違う気がした。ならば何と言えば良いのだろう。白髪の一本も見えない黒髪を眺めている内に巫女は部屋を横切り、京太郎の前に腰を降ろした。
「申し遅れました。私は滝見千恵と申します。霧島神境の巫女の末席に名を連ねるものです」
口調が異常なまでに丁寧である。子供を相手に丁寧に接する大人というのは京太郎も何人か見てきたがそういう大人は大抵、それを演じている雰囲気がある。悪い言い方をすれば、子供から見たらバカにされているように思えるのだ。
だが千恵からはそれを感じない。おそらく普段から誰にでもこういう物言いなのだろう。年上の人間に敬語を使われるというのは初めての経験だった。京太郎の姿勢が、自然と畏まったものになる。
挨拶を忘れていたことを思い出して、京太郎は慌てて頭を下げた。
「三尋木若菜さんの紹介で参りました、須賀京太郎です」
それは咏によって用意された口上である。名乗る時にはそう言えと、口を酸っぱくして言われたのだ。
ちなみに若菜というのは咏の祖母の名前だ。横浜に住んでいた時、京太郎は三尋木邸に何度か招待されたことがある。若菜と出会ったのはその時だ。
小柄な咏とは似つかない正統派の和風美人で、いつも落ち着いた色の着物を着ていた。その若菜の前では、破天荒を絵に描いたような咏も借りてきた猫のように大人しくなる。初めてそれを見た時はそのギャップが可笑しくて、初めて会う若菜の前で京太郎は腹を抱えて大笑いした。
これにキレたのが咏である。借りてきた猫であったことも忘れて、笑う京太郎を扇子でばしばしと叩く。それでも京太郎は笑うのを止めない。だから咏は顔を真っ赤にして京太郎に組み付いた。流石にこれには京太郎も抵抗し、二人はもつれて床を転がる羽目になる。
小学生と本気で喧嘩する孫を見ても、若菜は静かに笑うばかりだった。とにかく、上品で優雅な女性というのが京太郎の若菜に対する印象だった。
「若菜さんとは、昔からの友達なのですよ。須賀さんと同じくらいの年齢からの付き合いですね。昔は同じ殿方を好きになって、取っ組み合いの喧嘩だってしたんですから」
懐かしい話です、と千恵はさらりと言葉を結ぶ。自分から頼みに来たのにその話の方が気になってしまう京太郎だったが、突っ込んで良いものか迷っている内に、千恵は話を先に進めた。
「事情は理解しています。早速、拝見しましょう。須賀さん、こちらによっていただいてよろしいですか?」
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