ハーメルン
樹界の王
12話 ハクゲキソウ

 その話は、当時のボクにとっては意外な事のように思えた。
「電子戦というのは、普通の戦争とは随分と様相が違うね。実際の戦争は防御側が有利じゃないか」
「それは違うよ、カナメ。互いがあるパラダイムの下に安定している時においてのみ、防衛側が優勢を確保できるだけに過ぎない。防衛側が想定しているスケールを超えた攻撃を加える事が可能なら、攻撃側が有利なのは実際の戦争でも同じだよ。少なくとも、史実ではそうなっている。パラダイムシフトが起きた時、防衛側は一気に不利な状況に陥るものなんだ」
 ボクはその話を聞きながら、彼女の瞳をじっと見つめた。
「それで?」
 彼女の瞳が、微かに揺れる。
「何故、こんな話をボクに。そして由香は何故こんな遊びをしているのか、教えてくれないかな」
「カナメ。ただ私はこう言いたいんだ」
 彼女は言い訳をするように、曖昧な笑みを浮かべて言った。
「包丁が売られているのは、それが正当な目的で使われる事を前提にされているからだ。あらゆるシステムもまた、悪意を持った技術者がいないという技術者倫理に基づいて運用される。セキュリティというものは機能とは別に多大なコストがかかるものなんだ。そして日本において、その安全性に対して対策を怠ったとしても、それを処罰する法は存在しない。なら、辿り着く答えは一つしかない。これが日本を取り巻くセキュリティ問題の現状だよ。問題は動機であって、方法ではない。私はそれを証明するために、こんな火遊びを始めたんだ」
 ボクは息を止めた。
 由香の瞳孔がボクを呑み込むようにゆっくりと開く。
 平静を装っているが、彼女が興奮状態にあることがわかった。
 そしてボクもまた、すぐに言葉を返す事ができなかった。それはボクの犯したミスだった。
 由香の顔から、言い訳じみた笑みが消える。
 これ以上は危険だ、と思った。
 ボクは彼女の真意に気が付かなかった振りをして、呆れたように笑った。
「……由香、火遊びは一人でするものだ。他人に自慢するのは感心しないよ」
 これ以上、この話をするつもりはない。
 ボクの意図を汲み取った由香は、そうかもしれないね、と短く相槌を打った。 
 それ以降、由香の注意は電子空間から再び現実世界へ向けられる事になった。
 幼少期から見え隠れしていた彼女の破壊衝動は肥大化していく一方で、それは確かな知識を伴った危険な存在へと変貌しようとしていた。




『カナメ、知っていますか。戦闘というものは、攻めこむ側に多大な負担を強いるものなのですよ。動物というものは、動くことでしか食料を確保できません。動物は常に餌を探し求める必要がある。しかし、この大地において彼らの食料となりうるものは存在しない。彼らの侵攻には限界があるんです。そして、私は計算された防御陣地を以って、軍蟲を迎え撃つ事ができる。それほど心配することはありません』
 ラウネシアは軍蟲の軍勢を知覚しても、その余裕を崩そうとはしなかった。
 それはボクを安心させる為の気遣いだったのかもしれない。
 だけど、その態度にボクは幾許かの危機感を抱いた。
 ラウネシアが軍蟲に下した評価は、安定したパラダイムの下でしか成立しないものだった。
 その安定性が崩れた時のことを、彼女はまるで考えていないようにも見えた。
 原型種という種族に対し、ある懸念が浮かび上がってくる。
 高い知能を有してはいるが、多様性を持たないために巨視的な視点が欠落している。

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