18・いろはにほろほろ
私の喉の下辺りを貫通するはずだったお燐の手刀は、爪が一寸埋まった所で停止していた。
「――お姉さん……ごめんねぇ」
何に対して私に謝っているのか、お燐はそれだけ言って意識を失う。
私の傷も、お燐の言葉も、そんな事はどうでも良かった。
地面へと崩れたお燐の手から、二体の人形が抜け落ちて地面を転がる。
私の創作物ではない、この二体だけが持つ特別。
上海と蓬莱には、自我が目覚めた時の為にそれまでの経験や記憶を溜め込んでおける魔石が、最初から内蔵されていた。
私が同一の物を作れるようになり、制作した全ての人形に入れるようになった今でも、オリジナルとして存在していたたったの二つ輝石。
込められていた場所は、一番装甲の厚い胸部の中心。万が一破壊されたとしても、その魔石さえ無事ならば別の人形に記憶の引継ぎを行う事が可能だった。
見るまでもなく、最も重要な二体のその部分は完全に破壊されている。私を守る為に、私の目の前で、上海と蓬莱は犠牲となった。
何も出来なかった。本当に、何も出来なかったのだ。
お燐の速さは私より断然上で、思考加速も切っていた。
咄嗟の判断で、とか、無意識で、とか、そういった偶然も一切ありえない。完全に無防備な状態への一撃。
油断しきっていた。そんなものは来ないと。妖怪は不意打ちが出来ないと。
愚かにもほどがある。
勝ったのは私、対戦の勝者は私だ。弱者となったお燐が強者である私に対し搦め手を使ったとしても、幾らかの弱体化を受け入れれば消滅までには至らない。
それ以上に、気絶寸前で意識が朦朧としていたであろうあの状態で、彼女がそこまでの判断が出来たかどうかも定かではない。
無我夢中の行動に、あらゆる枷などありはしない。
そんな、回避も防御も反応一つ出来なかった私の前で、それでも上海と蓬莱は動いた。
そこから導き出される結論は、たった一つ。
自律稼動――
この娘たちには、個としての自我が芽生え始めていたのだ。動く事も喋る事も出来ないほどだが、それでも心が始まろうとしていた。
そして、私に迫った危機に反応し、ほんの一瞬だけ自力で動いて見せた。
私は、感じていた二体の違和感に対し、そんな可能性を最初から捨てていた。
だって、原作の「アリス」が到達出来ない領域に、未だ未熟の極みにある私が辿り着けるとは思えないから。
そんなバカげた思考故に、気付いてあげられなかった。
言葉は喋れなくても、この娘たちは精一杯私に教えてくれていたのに。
目覚め掛けていた事を、何度も教えてくれていたのに。
当然、記録のバックアップは欠かさずに取り続けている。だが、そんなものはただの集積した情報でしかない。
仮に、まったく同じものを用意したとしても、それは私を庇ってくれた上海と蓬莱ではないのだ。
死んでしまったこの娘たちは、もう二度と戻って来ない。
「……」
自分の傷をそのままに、私は気絶しているお燐を見下ろす。
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