この世で一番強いのは、金と胃袋をつかむ人
統一歴1924年5月の共和国軍最後の前進、または勝利が、実は帝国の仕掛けた罠だった。
マウントバッテン氏はなぜこういうのでしょう?
――従来、この後退で、結果的に帝国は後方との補給線を盤石にし、逆に共和国軍は攻勢限界に到達した。と言われていました。
ですが、こちらを見てください――
そう言ってマウントバッテン卿がとりだしたのは一枚の写真。
そこには網の目のように張り巡らされた塹壕陣地が映っています。
――これは、帝国軍が後退してこもったと言われてきた、当時の西方戦線陣地を撮影したものです。それまでの塹壕に比べ、かなり洗練されています。これに対戦車砲陣地を加えれば、今でも十分通用するでしょう――
それだけでも驚くべきことですが、問題はここからだ、と卿は指摘します。
――従来、この塹壕網はその後1年近く続いた地獄の消耗戦の中で、帝国が徐々に作り上げたものだと言われてきました。この写真も、戦後に撮られたものだと思われていたのです――
ところが、最新のデジタル技術による写真分析の結果、この定説は覆されました。
――写っている樹木や地形、そして帝国軍兵士の装備から、これが1924年3月、つまり構築中の陣地を撮影したものだと分かったのです。
つまり、帝国軍は後退して陣地を造ったのではなく、予め陣地を造っていて、後退を装ってそこに移動していたのです!――
マイントイフェル氏も言います。
――この意味は重大です。
なぜなら、従来1年をかけて作り上げられたと考えられてきた『西方防衛線』が、実は最初から用意周到に造られた『要塞』だったことを意味するのですから――
マウントバッテン卿は続けます。
――おそらく、当時存在したいかなる要塞よりも強固な要塞だったことでしょう。緻密に計算された塹壕、トーチカ、機関銃陣地に砲兵陣地。さらにすぐ後ろの西部工業地帯から山のように送られてくる武器弾薬。ルーデルドルフの言葉を借りれば
『西方戦線ある限り、武器弾薬は無尽蔵!!』だったのです。
従来は言葉遊びか、単なる強がりだと思われていたこの言葉の意味も、180度変わってきます。すなわち、まごうことなき真実だったのだと――
そうとは知らぬ共和国軍は、統一歴1924年5月から6月にかけてこの要塞ラインに到達。いえ、誘い込まれました。
[9]前話 [1]次 最初 最後 [5]目次 [3]栞
現在:1/5
[6]トップ/[8]マイページ
小説検索/ランキング
利用規約/FAQ/運営情報
取扱説明書/プライバシーポリシー
※下部メニューはPC版へのリンク