第3話 初陣で戦の怖さを思い知らされた者は生涯戦下手で終わる
松平忠直にとって、この戦いは死戦と決まっていた。
鉄砲の轟音と、男たちの雄たけびと、血と何かが焦げたような臭いが支配する戦場にあって、忠直は仁王の如き形相を戦場に向けている。まるで、この目に映るすべてに安らぎはなく、叩き潰すべき仇敵だと言わんばかりの怒りがそこにはあふれていた。
今にも刀をもって戦場に駆け出さずにはいられないのだろう。忠直の脚は何度も馬の腹をけり上げようと構えては、静かに下ろすを繰り返していた。
元々、忠直は感情のコントロールが不得手である。家臣たちもその激昂しやすい性格を知っているため、普段から感情が爆発する前に忠直を宥めることが多かった。
しかし、今は誰も忠直の怒りを鎮めようとはしていない。それどころか、本来であれば忠直を宥めるべき周囲のものたちも、鬼気迫る表情を浮かべていた。
――徳川に何度も煮え湯を飲ませた真田を討つのは俺だ。人を見る目のない大御所様に対する意趣返しに真田の首以上のものはない。
そもそも、本来であれば松平忠直率いる越前勢の任されていた場所はもっと後方のはずであった。家康は天王寺口の先鋒は本多忠朝と決めていたため、茶臼山の正面、敵軍への一番槍を狙える位置に布陣しているはずがないのだ。
実は、徳川方の天王寺口の先鋒は当初藤堂高虎の予定であった。しかし、大坂城に至る道中でも豊臣方と交戦し少なくない死傷者を出した高虎は、自軍の現状を鑑みて先鋒を辞退する旨を家康に伝えていた。家康も事情を理解して高虎の辞退を受け入れる。
最終的には天王寺口の先鋒大将にかつての徳川四天王の一人、本多忠勝の二男本多忠朝を、岡山口の先鋒大将に秀忠の娘婿でもある前田利常を充てるという決定を下した。
家格の釣り合いだけで言うのであれば、岡山口の先鋒に加賀一〇〇万石の大大名にして将軍の娘婿である前田勢がつくのなら、天王寺口の先鋒にふさわしいのは越前六七万石の大名にして同じく将軍の娘婿であり、家康の実の孫でもある松平忠直勢である。
家康の決定を不服とした忠直は、すぐさま家臣の本多富正・本多成重の二名を家康の下に遣わし、先鋒を務めたいと願い出たが、それに対する家康の返答は冷ややかなものであった。
『あやつは前年の合戦で真田丸に攻め入り無様に敗退していたなぁ』
本多富正の話では、家康は油虫でも見るかのような視線で二人を見下していたという。
『お主らは和泉守や掃部助が戦っている時にも呑気に昼寝でもしていたと聞く。乳臭い大将に、腰抜けの家臣ばかりでは落とせる城も落とせぬ。そのようなやつらに先陣を任せるほどに耄碌したつもりはない。貴様らは後ろに引っ込んで後学のために前田勢が手柄をあげる様子を見ておけばよい。まぁ……正直に言えば後に活かせるかは期待しておらぬがな』
叱責や詰るというよりもただの侮蔑としか言いようのない返答であったが、本多らは何も言い返すことができず、ただそれを忠直に復命することしかできなかった。
家康の返答を聞いた忠直は怒り狂った。元々、家康が父である結城秀康を嫌っており、その息子である自身を嫌っていることは知っている。だが、父の武功に対しては嫌っていながらも評価はしていたにもかかわらず、己に対してはその能力まで偏見をもって不当に低くみられることは耐えられなかった。
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