「やっほ」
「!」
休憩所からパーソナルルームに戻る途中、不意に声を掛けられた。光の届かない暗闇、その陰から顔を覗かせたのはナインの良く知る人物だった。
「天音さん」
「こんばんは、ナイン」
暗闇から顔を覗かせたのは天音だった。僅かに乱れた衣服に跳ねた髪。ややだらしない格好だが、それがある意味彼女らしくもあって微笑ましく感じた。ナインはそっと背後を振り向き、休憩所から刑部が追ってきていない事を確認し静かに問いかけた。
「こんな所で何を……」
「あー、その……刑部君が部屋を出る時、目を覚ましちゃって、何か一人で部屋に居るのも寂しいからついて来ちゃった」
「そうですか、なら――」
「うん、ごめん、盗み聞きするつもりはなかったのだけれど」
ナインの言葉を制し、天音は先に頭を下げる。刑部を追って休憩所に近付き、偶然会話を耳にしてしまった。そこで離れれば良かったのだろうが、内容が内容な為に足が止まってしまったのだ。天音はナインが激昂するならば甘んじて罰を受けるつもりであった。しかしナインは緩く首を振り、天音の行為を許した。
「いえ、構いません、別段隠していた訳ではないのです、ただ話すべき事でもないと考えていただけで」
「……ん、そっか、ナインがそういうのなら」
暫し沈黙が降りた。ナインと天音は視線を交差させず、所在なさげに顔を背ける。ナインは何となく、自分の深い部分の事情まで知られてしまったという気まずさから。天音はこうして彼女を出待ちしてまで語ろうとした内容の取っ掛かりを掴めなかったが為に。
ややあって天音は咳払いをひとつし、ナインへと言った。
「……ナインにはまだ、話していないよね、私の事」
「?」
「私、外側の生まれなんだ、えっと、俗にいう貧困層? あれ、これはもう話したっけ」
「……えぇ、大雑把にですが、最終試験の後に」
「そっか、えっと、正直私が男と寝床を一緒にするなんて一昔前の自分なら絶対信じないと思うんだ、その日暮しで精一杯だったし、色恋だとか男がどうとか言っている暇なかったし、というかまだ夢なんじゃないかなー……とか疑っていてね」
どこか幸せそうな表情でそう宣う天音。実を言うと、今でも結構本気で夢ではないかと疑っている。明日の朝目が覚めると外側の安っぽいベッドの上で、隣には当然刑部はいないし、AS乗りなんて高尚な職業にも就いていない。またその日を生きるのに精一杯の毎日が始まるのだ。そんな明日を想像すると吐き気さえ覚える。
だから天音は時折、頬を抓って現実かどうかを確かめる。或いは、抓るのは手の甲でも良い。幸せを感じた一瞬、彼女は癖の様に痛みを求めるのだ。そうしないと今が悪い夢の様に思えて、不安になる。天音は目を伏せたまま頬を掻き、ぽつぽつと言葉を零した。
「その、外側にはさ、色んな人がいたんだよ、内側からあぶれた人ばっかりだから、これまた中々に難儀な性格の人とか、理解出来ないような人もね、沢山いた」
「えぇ」
頷くナイン。知識として、ナインは外側の現状を知っている。だから別段驚く様な事ではない。外側でなくとも、内側にも、そういう人間はいるだろう。
「――刑部君もさ、そうなんだよ」
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