深淵の領域
それは、まるで水底に墜ちゆくかのようで——
意識はより深く、より奥の底へと溶け落ちる様に沈み込む。
形の名は『刃禅』と云った。
『————……』
然る後、青年の裡で何かが切り替わる。
薄く目を開けると、辺りはいつの間にか広がっていた”薄暗い陰”に覆い尽くされている。
夏日が燦々と輝いていた外の風景とは明らかに『ちがう』が、——変化はそれだけに止まらない。
ぶよ、ぶより
草履越しに鈍く伝わるその不気味な感触は、まるで地面に敷かれた動物の皮の上を踏み締めているような錯覚を青年に抱かせた。
おおよその人間が”不気味だ”というような感想を抱くであろうこの感覚は、当の輔忌にとっても好ましいものではなかった。
だが、それも触覚で感じられる不快感など遥かに凌駕するほどにおぞましい、とある一つの事実の上に成り立っているちっぽけな要素に過ぎないのだと考えれば、所詮は瑣末事の域を出ない程度のものだった。
この空間は——総て、人皮で出来ている。
この事実を踏まえてさえ「ああ不気味だ」等と、これを知る以前と変わらない限りの感慨を持てる人間がどれだけいるだろうか。加え、他にも“もの恐ろしさ”を構成する要素が数え切れないほど点在する。
完全に閉じた闇には決してならない程度の厭らしい薄暗さ。
どこにも背中を預ける事が出来ない、四方へと果てしなく広がる空間。
それにも関わらずどこか閉塞感を感じるのは、これが天井だとでもいうように、地上数間の上方からは床と同じような人皮で空全体が覆われているからか。
——そして何より、人皮の表層に何万と張り付く『目』。
人間のそれより何倍も大きい『目』は、一定の感覚を置いて床と天井の全体をビッシリと覆っていた。ここに来る度少しずつ観察した限りでは、これらの視線が一斉に輔忌へと向けられる事は無いらしいが、こちらの動きに対してはある程度の反応を見せるようだった。
ぎょろ、ぎょろりと、その動きは中途半端な知性のようなものを感じさせるだけに却って見る者の恐怖を煽る。
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